Sound & Silence

本多重夫の音楽、オーディオ、アートなどについてのプライベートブログ

パブロ カザルス / バッハ無伴奏チェロ組曲 - 80年前と変わらぬ今

ほぼ毎日、レコードラックからレコードを何枚か出してバキュームクリーナーでクリーニングして聴いてみることを繰り返している。2000枚近い枚数があるので、ようやく半分を超えたところ。10年ぶり、20年ぶりに聴いてみるレコードも少なくない。久しぶり聴くと違う印象があったり、新たな発見があったりする。 ただそのレコードを購入した時のことを思い出しても「懐かしい」と感じることがないのは、僕の中で音楽は切り離した存在としているからかもしれない。もちろん、聴いてきた音楽から多大な影響を受けているのは確かだが、人生の特定のイベントと強く結びついていることはない。それは、本の読むようにレコードを聴いているからかもしれないが。

「人として持っていないとダメなレコード」と勧められて

それで数日前にクリーニングしたのが、このパブロ カザルスの無伴奏チェロ組曲の全曲LP3枚組。このレコードを買ったのは明大前にあった中古レコード店で、当時のバンド仲間の友人から「このレコードは人として持っていないとダメだよ」と勧められたから。もちろんカザルスが偉大なチェリストであることは知っていたし、このバッハも無伴奏チェロ組曲も何度も聴いたことはあったが、友人の勧めの一言が面白かったので思わず購入してしまった。その時に一緒に買ったのは、バルトークのバイオリン協奏曲の初演メンバーでの録音と弦楽四重奏の3番/4番のセットだった。

困難な時代に録音され、80年経ってもその魅力を失わないカザルスのバッハ

このカザルスのバッハは1936年から1939年にかけて録音されている。パブロ カザルスは60才代前半で演奏家としては晩年になりつつあった頃。当時は第二次大戦前のスペイン内乱で、1939年にはドイツ、イタリアの支援を受けたフランコによる独裁政治が確立し、スペインは日独伊同盟に参加するなど、戦争への行進がひたひたと進んでいた時代。その前の年のゲルニカの虐殺は、ピカソに大作「ゲルニカ」を描かせる。 カザルスはフランコ政権樹立後にスペインを出て、フランスに渡り、後にはアメリカへ、そして最後はプエルト・リコで生涯を終えることになる。民主国家ではないスペインには足を踏み入れることを頑なに拒んだ芸術家であった。

そうした困難な時代に録音されたが、その音楽そのものは気品、風格があって瑞々しい。古い録音なのでナローレンジでドライで、今のコンサート会場のような残響のある録音ではなく、まるでカザルスの家に招かれて1メートル前で演奏するのを聴いているかのようだ。

指揮者で言えばフルトヴェングラーやメンゲルベグク、ピアニストならホロヴィッツがそうであったように、20世紀初めの音楽家の演奏は自由だった。作品との関係がロマンチックだったとも言える。時に極端なテンポ設定やスコアにない装飾音を加えたりと、演奏家が積極的に作品に関与していた。後にはその反動からスコアに忠実であるべきだという「新即物主義」運動が起きるのだが、こうした自由な演奏というのは、演奏家の思索がダイレクトに反映され説得力がある。

カザルスのバッハの無伴奏チェロ組曲もテンポは独自の緩急がある。誰もが知っている第1番の出だしはかなり早い。しかし、その何か堰を切って伝えたいことを話し始めるかのようにほとばしり出る音楽は切なさを感じさせる。僕が好きなのは、LP3枚目の5番と6番で、1番から4番に比べて格段に演奏の難易度も上がり、線的な音楽でありながら構成も複雑。建築物のワイヤーフレームを見ているよう。カザルスの演奏はこの音楽を更なる高みに舞い上がらせていく。

こうした80年前の演奏を聴いていると、80年前と今とで世界は良い方向に変わっていくことができたのかと思う。第2時大戦が終わって70年以上経ち、僕たちは平和で豊かになったが、国と国との戦争はテロリズムに姿を変えて世界中に蔓延し、不安な霧が立ち込めている世界は共通してはいないか。

カザルスは死の少し前、1971年に国連で出身地のカタロニアの民謡「鳥の歌」をチェロで演奏するが、その紹介を次のように始めている。

「故郷の鳥は青い空でピース(peace)、ピース(peace)と鳴くのです。」と。

彼ほど、演奏を通じて、身をもって平和の重要性を説いた演奏家はいないかもしれない。


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