本書は各国で翻訳されてベストセラーになった美術関連書ということで興味があって読んでみた。「美術は魂に語りかける」という大仰な邦題がついているが、内容は原題の「Art as Therapy(治療・癒しとしての芸術)」の通りで、芸術が語りかけてくるというよりも、芸術と人間はどう関わり合うものか、それがその人の生活や人生、あるいは社会にどんな意味や作用をもたらすことができるのか、ということについての考察である。
芸術は人を正しい方向へ導くことができるか?
実例として古典から現代まで様々な作品が引用されている。中には恣意的な解釈に過ぎるように感じることもないわけではないが、芸術作品は作者を含む人間の普遍的な様々な感情を投影しているもであるのは確かで、鑑賞者はそこからメッセージを受け取るのだが、それは自分の内側で受け取るものと、作品を外部から見ていることで理解しようと努力する2つに分けることができるかもしれない。
人は自分のことは内側から知ることができるが、他人はその外側からしか知ることができない。人にはそうした限界がある。その限界を正しく認識することは大切なことである。
著者は芸術と会話することで、自分の弱点を補い、思慮深くなり、現実や自分を理解することで、より正しい方向へ進むことができると言う。
苦悩、愛、怒り、老いなどは様々な芸術作品のテーマであり、それは我々の日常の中でも何度も何度も繰り返される出来事でもある。それらをうまく対処したり受け入れられたりすることができれば、人生を少しでもよくできるかもしれない。しかしそれは自分で見出す必要がある。
アートは運命を映し出すイメージであり、私たちがどこへ向かうべきかを示している。だがどうやったらたどり着けるかということへのヒントはほとんど教えてくれない。
と著者も認めている。僕らは美術館の外で実践しなくてはならないのだ。
自由主義と検閲への警鐘
本書は終盤で社会的なテーマを取り上げる。メディアに低俗なものや卑しめるものが溢れるのは、市場主義の原理であり、送り出し側を責めても問題の解決にはならない。それを享受して楽しむ人たちがいるから、それがお金になるからに他ならない。そこで著者は検閲の必要性を訴える。
自然破壊から気まぐれな暴力までなんでも良いと言う自由と、優れたものを育てる自由とは区別して考えねばならない。逆説的ではあるが、後者の自由には検閲が必要とされる。通説とは違って、自由とは人生のどの分野にも通用する基本的善ではないのだ。
ここで著者の訴える「検閲」というのは、そうした映像を閲覧できなくすることではなく、こうしたものの価値はあくまで「個人」に属することを明確し、社会による是認を退けることにあり、そうした「制限」よって、秩序を取り戻す必要があると。
芸術の役割を包括的にまとめた書籍
約270ページの本書を読んで、著者が提案する芸術と人との結びつき、それも人間性の深いところでの結びつきやアートと自分の生き方との関わりというのはよくわかる。この抽象的な概念が包括的にまとめられていると思う。 ただ、著者の商業主義や市場主義のへの批判、国家や国民としての自尊心の重要性、検閲の必要性についてのくだりは、やや表層的な印象がある。この内容だけでもう一冊の本にしてもいいテーマではないか。 いずれにしても、アートに関する新しいタイプの本であることは確かだろう。