Thinking is The Form

本多重夫の音楽、オーディオ、アートなどについてのプライベートブログ

Miles Davis / AT FILLMORE - 境界線に挑戦し続けたマイルス・デイビス

Miles Davis(マイルス・デイビス)ほど、そのキャリアの中でスタイルを変遷させたミュージシャンはいないだろう。50年から60年代はじめにかけては、ハードバップ、ギル・エバンスのオーケストレーションとの融合、Kind Of Blueでの大成功など、所謂正統派であり、スーツにネクタイ姿で演奏するジャズ ミュージシャンだった。

彼ほど成功したジャズ ミュージシャンなら、そのスタイルのままでファンと一緒に安定した演奏家として過ごしていくことも可能だったろうが、彼はそれでよしとはしなかった。

付き合う女性達が彼の音楽のミューズになる

1968年に42歳のマイルスは、ニューヨークで23歳のモデルのベティ・マブリィ(Betty Davis)と結婚。「スーパーグルーピー」とも呼ばれた彼女がロックやファンクなどの音楽を彼に持ち込む。実際にミュージシャンとの交流で音楽的にも影響を受ける。特にスライ・ストーンとジミ・ヘンドリックスをマイルスは高く評価していたが、彼女がジミと関係した事が原因で翌1969年には離婚。

しかし、マイルスは新しい若いガールフレンドをとともに、ファッションと音楽への探求は続く。 アルバムの内ジャケットのマイルスのポートレートは、スーツを脱ぎ捨てた新しいミュージシャンとして気概と自信が満ちている。

そして、チック・コリア、キース・ジャレット、ジョー・ザビヌル、ジョン・マフラフリン、ジャック・ディジョネットといった若いミュージシャンとスタジオでセッションを繰り返し、その音楽はJazzの地平線をはるかに超えるバイブレーションを放ち、1970年の「Bitches Brew(悪女達のたくらみ)」に結実する。

新しいサウンドをロックオーディエンスで試す

マイルスは自身の音楽に変革をもたらすだけでなく、新しい聴衆を相手に自分の音楽で挑戦を繰り返す。それはジャズクラブでなく、ロック コンサートの会場だった。

当時新しいロックムーブメントの中心地だった、プロモーターのビル・グラハムが主催するフィルモア・イースト、フルモア・ウエストでロック・オーディエンスを相手に演奏を繰り広げ、さらには英国では「ワイト島フェスティバル」に参加し、60万人の聴衆を前にエレクトリック マイルスサウンドを響かせる(このイベントは録音されていたので、後にリリースされた)。

キースとチックのダブルキーボードが聴きどころ

このアルバムはそうした時期の1970年6月17日から20日のニューヨークのフィルモアイーストでの演奏を収録したもの(カバーデザインも「ファンクな構成主義」とでも呼べそうな写真レイアウトで秀逸)。ただ、マイルスほどのミュージシャンでもヘッドライナーではなく、いずれも、ローラ・ニーロのサポート(前座)だった。ローラ・ニーロにもジャズっぽいところはあるが、彼女のファンにはマイルスのエレクトリックサウンドは、強烈なものだったろうと思う。

この2枚組のレコードには、それぞの日の演奏が各面に「水曜日のマイルス」「木曜日のマイルス」「金曜日のマイルス」「土曜日のマイルス」といったシンプルなタイトルで、プロデューサーのテオ・マセロによって巧みに編集されて収めされている。この時期のマイルスは演奏内容もすごいが、それをレコードというパッケージに収めるために編集にあたったテオ・マセロの音楽的なセンスもすごい。彼の感性無くしてエレクトリック マイルスの諸作品は存在していないだろう。

マイルスのライブは毎回違う。インプロビゼーションがどうこうというレベルではなく、音楽のランドスケープが変容する。それは今のパッケージされたコンサートとは全く違い、演奏者へのプレッシャーも高かっただろう。その中でもキースとチックのダブルキーボードが聴きどころ。特にキースのオルガンプレイは彼の感性の輝きを感じさせてくれる。音楽家、鍵盤奏者としての才能、創造性ではずば抜けてる。

聴き手は、 繰り返しレコードを聴いて、この時期のマイルスの音楽の森の中を何度も自由に見方を変えながら楽しめばいい。それは尽きることがない。

*Apple Musicでも聴ける