エリック・ドルフィーついて語るのは危ない。「お前はジャズが分かっていない」と何度絡まれたことか。そう、確かにジャズがわかったと言えるほどほどジャズは聴いていない。でも「ジャズを分かる」ってどういうことなんだろう。「ジャズ」を「ロック」や「クラッシック」に置き換えても同じだが、どうも「分かっていない」絡む人の根拠は、そのジャンルに対する洞察ではなく、「精神性」のようなものに寄っていないか。それはそれで別に悪いことではないとは思うが.....。
エリック・ドルフィーというと、1964年に36歳で亡くなる直前にオランダで放送用にライブ録音された『Last Date』 があまりにも有名で、僕より少し上の世代だとこのアルバムで「人生が変わった」と公言する人もいるほど。確かにオープニングのセロニアス・モンクの『エピストロフィー』の演奏は、ハン・ベニング、ミシャ・メンゲルベルクという彼の音楽の良き理解者を得て、自信と生命力に溢れた音楽として始まる。硬軟織り交ぜ確かに素晴らしいライブアルバムであるが、これだけが彼の音楽の本質ではないだろう。
ドルフィーは米国のジャズメディアから「アンチジャズ派」として冷遇されたこともあるようだ。僕はアンチジャズとまでは思わないが、ドルフィーの音楽には黒人特有のブルースやゴスペル感といったものが希薄な気がする。少し前に書いたアルバート・アイラーと比べると対極的。ジャンルは違うがジミ・ヘンドリックスもそうで、それは同時代のスライ・ストーンと比べると分かる。
ジミ・ヘンドリックスが影響をうけたのは、同時代のボブ・ディランやサイケデリックロックであり、ドルフィーが研究していたのは、シェーンベルクの12音技法やドビュッシーのハーモニーという非黒人的なものであったのも共通している。
亡くなる年にブルーノート・レーベルに残した『Out To Lunch』というリーダーアルバムに彼がやろうとした音楽が詰まっている。このセッションで音楽に勢いをもたらしているのはトニー・ウイリアムスのドラム。ドルフィーと歳の差はあるが、このセッションで彼のやりたいことを一番理解していたのではないかと感じる。この『Out To Lunch』はサウンド的にちょっとヘビィなところがあるアルバムだし、ジャケット写真は、お店の「昼食に出ています」のサインなのだが、何故か針が何本もあっちこっちを向いていて、いったいいつ帰ってくるのかわからない、ヨーロッパでの客死を暗示しているかのようだ。
実はドルフィーは、このセッションと同時期にアラン・ダグラス(この人は何かと物議をかもすが)のもとで、別のセッションも行っていて、それがこの『Iron Man』と、『Conversation』という2枚のアルバムに収められている。ただ『Iron Man』の方は内容が実験的過ぎるとして、結局1968年までリリースされなかった。
僕はこの『Iron Man』が昔から好きで、個人的なドルフィーのベストアルバム。『Out To Lunch』でもそうだが、彼のコンポーザーとしての能力が発揮されるのは比較的大きいアンサンブルのように思う。ここでもヴィブラフォンを含む8人編成。オープニングタイトル曲の『Iron Man』は、まるでシェーンベルクの室内協奏曲のように知的に洗練されていて、ヴィブラフォンがアクセントになっている。非常に緊張感の高い演奏。
一方、チャーリー・パーカーへのオマージュである『Ode to C.P.』では、重力から逃れて蝶のように舞うフルートが聴けるが、彼のフルートの曲は、メロディやハーモニーがドビュッシーやラベルのフランス印象派の音楽を聴いているような気分になる。
僕の中では、ジョン・コルトレーンは「情」の人、エリック・ドルフィーは「知」の人と捉えている。コルトレーンがスピリチュアルなアプローチで自己変革を目指したのに対して、ドルフィーは音楽的な理論や奏法から自己変革にアプローチしたように思う。 残念ながら二人とも早くに亡くなってしまったが、もし1970年代まで演奏を続けていたら、音楽にどんな実りをもたらしてくれただろう。