Sound & Silence

音楽、オーディオ、アートなどについてのプライベートブログ

Crala Haskil / Konzerte Fur Kavier und Orchestra - ありのままのモーツァルトのピアニズム

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僕はあまりモーツァルトは聴かない。嫌悪しているわけではないが存在が絶対視されてしまっていて、クラシック界のビートルズ的な存在であり、批判や異議申し立てを受け付けてくれないからだ。ベートーヴェンにもそうしたところがあるが、映画『レオン』の中でヤク中の刑事が「ベートーヴェンのフェデリオは序曲はいいが、あとは全部クソだ!」と叫ぶシーンがある。このセリフだけで、この刑事がどんな人物なのかが見るものに伝わってくる。心の中で「まったくその通り」と相槌をうつ。でもモーツァルト相手には無理だろう。 それによくあるモーツァルトの演奏は、やたらと盛られてはいないか? 過剰に旋律が強調されたり、思わせぶりな身振りが多くないか? まあ、結局、多くの聴衆がそれを求めているからなのだろうが。

作品に寄り添うクララ・ハスキルのピアニズム

それでも、このクララ・ハスキル(1895-1960)やバリリ弦楽四重奏団の弾くモーツァルトは例外的によく聴く。このクララ・ハスキルというルーマニア出身の女性ピアニストのことをどこで知ったのかは正確に思い出せないが、同じくルーマニア出身のディヌ・リパッティ(1917-1950)を聴くようになってからだろう。

クララ・ハスキルはオランダ、フランスで学び、アルフレッド・コルトー、フォーレなどに師事し、才能はありながら若い頃から病弱で、演奏会でのトラブルなどなどが原因で経済的にも恵まれずにいた。しかし第2時大戦後の各地の演奏会で好評を博して1950年ごろからレコーディングの機会に恵まれるようになり、レコード会社はクララ・ハスキルを「モーツァルト弾きの女性ピアニスト」として売り出す。

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彼女のレコーディングが晩年の10年程度しかないので、若い時はどんな演奏をしていたのかはわからないが、残された演奏は、過剰な装飾を一切廃した端正で美しいもので、透明で清らかな水の流れを見つめているよう。ありのままの素顔のモーツァルトのピアニズム。彼女は地下鉄の階段で落下するという不幸な事故で障害を終えるが、その少し前に『やっとモーツァルトの静寂が分かった気がする』との言葉を残す。モーツアルトの静寂。

スカルラッティも美しく、アンビエンス感のある録音

「モーツァルト弾きの女性ピアニスト」としてのイメージが強い彼女だが、もちろんモーツァルト以外にも演奏を残している。このCDには、1951年から1960年にかけて録音されたベートーヴェン、シューマン、スカルラッティ、ラベル、ショパンなどの演奏が収録されている。いずれも彼女らしい作品に寄り添った演奏だが、スカルラッティの美しい響きは格別。

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それに今とは録音も違う。現在の解像度指向のデジタルレコーディングとは異なり、演奏者やオーケストラとある程度距離感がある自然なアンビエンス感が心地よい。ピアノ中に頭を突っ込んで聴いているような録音はどうも苦手で、響きの良いホールの前の方の席で聴いているような録音がいい。

またクララ・ハスキルには、バイオリンソナタの伴奏での録音もあって、中でもグルミョーのバイオリンとのベートーヴェンやブラームスのバイオリンソナタでは、親子ほど歳の違う二人の見事なアンサンブルを聴かせてくれている。

新しい世界は、それに適した演奏家が

ここには現代のピアニストにはない音楽が紡がれている。今はもう、こうした演奏をするピアニストはいないし、これからも出てこないだろう。世界が変わってしまったのだから、その新しい世界に適した演奏家の時代になることを止めることはできない。


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