Sound & Silence

本多重夫の音楽、オーディオ、アートなどについてのプライベートブログ

音楽を探し求める方法 - 音楽やアートはファシズムでもジャムでもない

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レコードだった時代にはジャケットデザインを見ながらな中身の想像を含まらせて(勝手な妄想とも言えるが)買ってしまう「ジャケ買い」という行為があった。僕も当然その世代で数限りない「ジャケ買い」を繰り返し、思った通りのもの、大外れのもの、いろいろあって、それは本来は成功とか失敗という二者択一的なものではないのだが、とにかく手にしたものを貪るように聴いていったものだ。その情熱の原動力となっていたのは、音楽という抽象的でありながら、直接心に訴えてくる、その力に突き動かされていたのだろう。

hiroshi-gongさんのブログでPresident Onlineの「店頭でワクワクしながらCDを選ぶという人が絶滅危惧種になった本当の理由」という記事に触れていた。

president.jp

このPresident Onlineの記事はストーリーミングサービスのようなサブスクリプションサービスには膨大なライブラリがあって、選択肢があまりにも多いため、自ら選択することを放棄していると指摘している。その論理としてエーリッヒ・フロムの「自由からの逃避」を上げている。まあ、この種のマーケティング系の人が書きそうな記事ではあるが的外れではないか。

もう一つ、マーケティング系の人たちが「自由で選択肢が多過ぎると人は選択はできなくなる」というテーマで好んで取り上げるものに、TEDでのスピーチで注目を集め「選択の科学」の著者でコロンビア大のシーナ・アイエンガー教授のジャムの選択というのがある。簡単にまとめると、スーパーの棚に、4種類、10種類、24種類と選択肢の数を増減したときに、購入数にどう影響を与えるのかを調査したもので、選択肢が多すぎると結局選べらなくなって購入数が減るというもの。

前者はワイマール共和国の理想と幻滅からファシズムへ向かうバックグラウンドがあり、後者は大衆消費物のジャムという商品の選択の話であり、そういった特性を無視して音楽やアートの選択に適応するのは無理がある。むしろ、こうした関連づけは音楽やアートを大衆消費物としてしか見ていない危険すら感じる。それに「店頭でワクワクしながらCDを選ぶという人」はもともと少数派なのだし、最初から「絶滅危惧種」だったのでは。ジャケ買いをする人が沢山いたというのは若いマーケターが抱く幻想にしか過ぎないし、サービス側の仕掛けでできることは、サービスから退会させないことやもっと消費させることにしか過ぎなくて、結局、彼らはユーザーやリスナーを「消費者」としてしか認識していないのだ。

そもそも音楽やアートは全ての人のものではない - 全ての人が享受できるとしても

音楽やアートには分かりやすいもの、難しいもの、美しいもの、醜いものがあり、それは全ての人が享受できる可能性があるとしても、受け入られる、あるいは感受できるどうかはその個人による。僕の学生時代は、クラスの半分以上はビートルズを聴くが、ローリング・スートンズは1/4以下だし、ピンク・フロイドになるとクラスに数人、ジョン・ケージを聴くのは学年に一人いるかどうかだった。今だと洋楽を聴くこと自体が少数派なのだろう。

これは音楽を聴く、本を読むことでも同じなのだが、自分が触れたものからさらに探究を深め、思考の旅を続けるのは、それは賭けと言ってもいいようなもので、自分では経験できない状態に飛び込めるどうかにかかっている。つまり、他者から見た自分、他者に定義された自分であることがいいのか、自分で自分を定義しようと葛藤するのかの違い。それには終わりがない。

音楽を探す場所と方法

自分に合った、新しい音楽、意味のある音楽を探したり、出会ったりする場所を探すのは難しい。過去、僕には日本の音楽雑誌はそうした用途でほとんど役に立たなかった。むしろ、NHK-FMの海外テープ音源による番組や1980年〜1990年代はライブハウスに通って未知のグループを見て、そこで出会う人から得るものが大きかった。それはインターネットの時代になっても基本的に変わらないが、中には有益なものもある。

Pitchfork

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自ら「The Most Trusted Voice in Music」と主張する米国Pitchforkは、今やすっかり音楽業界における権威になってしまった感じがする。このサイトの新譜レビューをよくチェックしていた。フォークからエレクトロ、メタルまでオールジャンルで、アルバムカバーのデザインやジャンルから気になったもののレビューを読み、サンプルを聴くか、AppleMusicで探して聴いてみる。レビューが古典的な10点満点の採点法というのが安易過ぎる気がする。どうも音楽レビューには点数や星数というが多いが、書評や美術評論では見ない気がする。どうしてなんだろう? 美術館で、ダ・ビンチの「モナリザ」は7.5点、ウォーホールの「マリリンモンロー」は9.0点とか作品の横に書いてあったら面白いかも ;-)

pictchfork.com

bandcamp

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Pitchforkが権威なら、bandcampはアーティストとファンが感覚的にも金銭的にも直接つながるアナーキックな場を提供している。新しく生まれてくる音楽にグローバルに触れるなら、bandcampが最適。実際にサイトで全て視聴することができる。フリージャズギタリストのMary Halvorsonや少し前に書いた75 Dollar Billもここで聴いている。このサイトはレビューや特集記事も読みごえたがある。おすすめ。

bandcamp.com

AppleMusic

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僕はAppleMusicしかサブスクリプションしていないので、AppleMusicのジャンルやカテゴリー別の中から新譜一覧を月に1度程度見て、気になるものがあればライブラリに追加する。ただインターフェースが変わって新譜一覧の表示が面倒になったので、もうあまり利用していない。直接検索することが多い。旧譜を探して聴くにはAppleMusicはいいと思う。

KEXP - YouTube

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KEXPはシアトルのラジオ局で、ツアーでシアトルを訪れるアーティストのスタジオライブを定期的に収録して放送し、ビデオはYouTubeに掲載される。新人からベテランまで幅広く、アイスランドのグループのSolstafirやVOKを知ったのもここだし、Zola JesusやSavagesのライブを最初に見たのもここだった。

www.youtube.com

Amoeba Music - YouTube

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Amoeba Musicは西海岸を中心にするレコードストアで僕が90年代に仕事で渡米したときにバークレーで通った頃は中古専門店だった。今ではお店も大きくなりインストアライブやイベントもやっている。YouTubeにチャンネルではアーティストが店内でピックアップしたレコードを本人が説明する『What's In My Bag?』というコーナーがあってこれが面白い。意外な音楽を聴いていたり、隠れた影響がわかったりする。その中から聴くようになったものも少なくない。

www.youtube.com

ディスカホリックによる音楽夜話

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そして今一番参考にしているのが冒頭でも触れた hiroshi-gongさんのブログ。とにかく新しいもの、マイナーなもののレコード、カセット、CDを毎月何枚も購入してブログで音源参照付きで紹介し、それもレーベルからレーベル、アーティストからアーティストへと関連を探究していく正統派の情熱が充満している。自腹を切って買ったものを書くのは信頼に値する。どこからか借りてきた音楽を借りてきた言葉で論じるのとはわけが違う。
そんな国でこんな音楽を演っている人たちがいるのか! という発見だけでなく、紹介されていくものを聴いていくと、パンク、ポストパンク以降の音楽がいかににグローバルに浸透して発展しているのか、またサイケデリックからノイズまでの伝統がスタイルを変えながら世代を超えて継承されていることがわかってくる。

hiroshi-gong.hatenablog.com

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結局、自分で聴く音楽の円軌道を広げていくのは、自分自身の内側を探究していくことにつながる。英国の風景画家コンスタンブルの言葉にはこうある。

ほんとうの趣味は半端な趣味ではない


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