少し前に米国シアトル出身のドローンメタルバンド、Sunn O))) の2009年のアルバム『Monoliths & Dimensions』の2枚組アナログ盤の中古をたまたま見かけて購入して聴いたことから始まる。Sunn O))) が所謂メタルバンド的なフォーマットでもない(ドラムがいない)、演奏でもない(ステージの上にアンプを積み上げて、ギターでジャ〜ンとコードを弾いて、そのフィードバックが延々と続く)、そして轟音であることは知っていたが、実際にこのアルバムを聴いてみると単にギミックではなく、楽曲として作り込まれていることがわかる。
本作ではストリングスアンサンブル、金管アンサンブル、女性コーラスなども加わり、単なるメタルではく、もっと前衛音楽や現代音楽に近い。特にアリス・コルトレーンへのオマージュとなる最後の曲の『Alice』は浄化とか昇華(アセッション)を感じさせるものがある。この曲を聴いていた時にデジャヴ的に思い出したのがオリビエ・メシアンの音楽だった。時代もジャンルも全く異なるが、僕の中では何か共通するものがある。
オリビエ・メシアン - 神秘主義的な祈りの作曲家
オリビエ・メシアン(Olivier Messiaen 1908 - 1992) はフランスの現代音楽家、オルガニスト。メシアンがヴェーベルン、シュトックハウゼンやジョン・ケージ、リゲティなどの20世紀の作曲を比べて異色なのは、キリスト教への深い信仰心が全ての作品の根幹にあること。20世紀の音楽は「神」ではなく「人間」やその「社会」を中心的なテーマをしてきたに対して、このメシアンの資質は異色であり、神秘主義的でもある。それに、メシアンは野鳥の鳴き声を「採譜」してピアノ曲で鳥のカタログを作るなど自然派な一面も見せる。彼の作品には独自のリズムがあり、音階は色に結びつけれら音楽は色彩間に溢れている。
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- Troia petites liturgies de la presence divine - 神の降臨のための3つの小典礼
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- オルガン曲 l'Ascension - キリストの昇天(部分)
Sunn O))) - 音の雲を生み出す
Sunn O)))は、1998年に結成。中心メンバーのStephen O'Malleyは、ヨーロッパでは作曲家、パフォーマーとしての評価が高いようで、様々な形で彼の作品が演奏されている。Sunn O)))の音楽にも独自のリズムがあって、じゃーんとギターを弾いたらアンプの前に高く掲げてフィードバックを引き伸ばすが、その音を長い時間聴いているとデタラメに弾いているのではなく曲ごとに構成が理解できてくる。またライブではステージが見えないほどの大量のスモークがたかれ、そこのカラフルなライトが照射される。音的にも視覚的にも濃い霧や雲のようなものを出現される。ただ、彼等がライブでベネディクト派のような僧衣を着ている理由は不明。それにも神秘主義的なものが関連しているのだろうか?
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- Sunn O)))の2019年のライブ。最後に女性ボーカル、バイオリンなどがアンサンブルに加わる。
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- ジュニアのアンサンブルと共演(2011年)
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- Stephen O'Malleyの作品のオーケストラアレンジ版(2015年)
空間が変容していくのを見つめるような
本来、音楽は予備知識なくまずは実際に耳を傾け、その体験を通して理解するものだが、このオリビエ・メシアンやSunn O)))の音楽はとくに注意深く聴くことを聴き手に求めているような気がする。もちろん漠然とその音響に身を委ねてしまってもいいのだが、ずっと注意深く聴くことで、その響(ひびき)の細部がより明確に浮かび上がり、それは混沌としてあるのではなく、その構造への理解が深まり、その中ですっと音楽が自分の中に入ってくる瞬間がある。 その音楽の響きが空間を変容していくのをじっと見つめているような、時間感覚が変化していく。音が鳴っているだけなのに、光や色を感じる。
オリビエ・メシアンでは、パイプオルガンの一連の作品、特にこの「聖なる三位一体の神秘への瞑想」ではアルファベットに音階を割り当て、天使の言でコミュニケーションし、キリストのビジョンを得ようと試み、巨大なパイプオルガンがその全音域の能力で聴くものにビジョンを伝達する。このアルバムはメシアン本人の演奏。残念なことにApple Musicにはこの自演の演奏がない。
Sunn O)))では、2019年リリースの「Life Metal」。このタイトルの元は北欧のバンド同士で「お前達はデスメタルではない、”ライフメタル”だ」と揶揄したことに起因しているが、Stephen O'Malley曰く、「Life Metalという言葉は自分たちの音楽に一端に通じる」ということでアルバムタイトルになったようだ。Sunn O)))のアルバムとしては有機的で、ムーグやバイオリン、女性ボーカルも参加し、アルバムカバーにも通じる美的なビジョン(幻界)をスピーカーの前に出現させる。
音楽なのか非音楽なのか
この種の前衛、アバンギャルになると、その音楽に対しての価値観や評価が大きく別れる。「音楽なのか非音楽なのか」という問いになるし、そもそもそうした存在の音楽は「音楽として語るべきものなのか? 」という疑問も呈される。
聴き手としての自分の立ち位置はシンプルでありたいと思っていて、作り手が側がどんな混沌であっても「音楽」として、その理解を伝えようとしていたり、聴き手を揺さぶって意識の底に沈澱しているものを意識の上に浮かび上がらせようとするなら音楽として受け入れる。
その音楽を聴く前と聴いた後で自分はどう変わったのだろうか?