Sound & Silence

本多重夫の音楽、オーディオ、アートなどについてのプライベートブログ

Barbara Hannigan / Vienna: Siecle - バーバラ・ハンニガン / ウィーン:世紀末 - 100年前の音楽を今の歌として歌う

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Barbara Hannigan(バーバラ・ハンニガン 1971-)は、カナダ出身のソプラノ歌手で20世紀の現代音楽作品を得意とする。もちろんテクニックは素晴らしいのだが、それだけでなく作品への理解が深く表現力にも優れ、現代音楽の声楽曲がこんなに美しいものだったかと新たな発見をもたらす。また指揮者としても活動している。昔からピアノを弾きながら指揮する「弾き振り」というのはあったが、ソプラノを歌いながら指揮する「歌振り」は彼女だけではないか。

僕が彼女を知ったのは、この2015年にサイモン・ラトル指揮ロンドンフィルでリゲティの作品を歌うビデオ。コスチュームもすごいが、完全にコントロールされた声でこの難曲を歌い切るだけでなく、この曲がこんなに魅力的な作品であることを示している。


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バーバラ・ハンニガンの類まれな才能は、現代作品を聴く価値のある音楽としているだけでなく、その音楽が2021年の現代において意味のあるものであり、そして何よりも芸術的に美しいものであることを表現していることにある。また先のビデオのように歌だけでなく、その音楽が持つ世界に合わせて彼女自身が女優のように立ち振る舞う。

ウィーン:世紀末 - 使い古された表現に新しい息吹を吹き込む

この『Vienna: Siecle (ウィーン:世紀末)』と題されたアルバムは2017年に録音されたもので以前からAppleMusicで聴いていたが、少し前に45回転2枚組のアナログ盤の売れ残りをDiskUnionのサイトで見つけて手に入れた。1000枚限定プレスの331枚目のナンバーが刻印されている(余談だがDiskUnionは売れ残るとアウトレットで出るので、まめにサイトをチェックするようにしている。ただ最近はプレス枚数が減ったのか、以前ほど売れ残りがないように感じる)。オーディオ的にはやはりハイレゾのストリーミングとは違う表現で、45回転ならではの声とピアノの生々しさでより音楽に投入できる。

この『ウィーン:世紀末』というタイトルは、1980年ごろからよく見かけて使い古された感があるが、他にいい表現もないのだろう。このアルバムに収めれているのは、1889年から1920年までに作曲されたヒューゴー・ヴォルフ、アルマ・マーラー、アレキサンダー・ツェムリンスキー、アーノルド・シェーンベルク、アントン・ヴェーベルン、アルバン・ベルクの歌曲合計31曲。

時代的には、ハプスブルク帝国の末期で近代と現代の交差点であり、音楽的には爛熟したロマン派からシェーンベルクによる無調音楽の扉が開こうとし、芸術ではクリムトやエゴン・シーレが登場、政治的には第一次大戦が始まり、さらにその後にはファシズムの足音が迫ってくる。不安な影が漂い始めた時代。

歌曲は歌手だけでなく伴奏が大切 - 詩と音楽が凝縮された芸術

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アルバムカバーで初老の男性と女の逢引のように抱き合っているのは、実はバーバラ・ハンニガン本人とピアノ伴奏のReinbert De Leeuwの二人。アルバムカバー写真もいつも自分で演じるバーバラ・ハンニガンらしい演出。まあ、このカバーがアルバムの雰囲気を物語っている。

クラシックの歌曲、特にこの1880年から1920年ごろの歌曲は歌手だけでなくピアノの伴奏が非常に重要で、伴奏は歌の添え物ではなく、それだけでも独立した音楽であり、歌とのアンサンブルで歌詞の世界が描写されていく。ピアニストのReinbert De Leeuwは残念ながら故人となってしまったが、彼のピアノ演奏は決して出過ぎることはなく、それでいて歌の影に陥ることもない絶妙なバランス感覚を備えている。彼のピアノが鳴り始めるだけで歌の舞台は完全に作られている。

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このアルバムの収められている歌曲を聴く面白さは、詩と音楽が完全に一体化していていること。1曲は1〜3分程度しかなく、詩と音楽が凝縮されている。
アルバムはシェーンベルクの「期待」から始まる。

枯れた樫の木のそばの
赤い小屋から
女の青白い手が
私を招く

といったような詩の歌。ヴェーベルンの「渚にて」では、

世界は沈黙に覆われ
おまえの血の流れる音だけが聞こえる
その輝く奈落の底に
彼方の日が沈んでいく

と歌われる。この時代の不安な雰囲気がなんとなくわかるだろうか?  ただ彼女が歌うと不安が不安なだけでなく、そこに避けがたい甘美な香りを含んでくる。

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それはバリトンのデイトリッヒ・フィッシャー=ディスカウが1970年に録音したLPの緊張感に満ちた歌い方とは全く違う。作曲から50年で録音されたものと100年経て録音された時代の違いなのだろう。

このアルバムでは無調から無調一歩手前の後期ロマン派へと時間を遡る構成になっている。中でも、ベルクの『初期の7つの歌曲』と作曲家グフタフ・マーラーの妻だったアルマ・マーラーの歌曲の美しさは際立っている。アルマは夫の酷評で作曲を止めてしまうのだが、それは同じ作曲家としての嫉妬心があったからではないか。夫の作品よりもアルマの作品の方が洗練された美がある。ツェムリンスキーの歌曲も録音が少ないが芳醇な音の香りが漂う。

最後は歌曲に人生を捧げてしまったヴォルフの「ゲーテ歌曲集」から「ミニオン〜知っていますか、あの国を?」が収められている。ヴォルフは自分の作品が受け入れられない境遇と梅毒の感染症の進行で肉体と精神を病んで43歳で他界してしまう。その残された作品は美しく、時に激しく、世紀末の音楽に大きな刻印を残している。

僕はヴォルフの歌曲を聴くと、ティム・バックレイや父親と同じように若くして亡くなったジェフ・バックレイの音楽に通じるものを感じる。自分の人生を歌に捧げてしまった者に共通するものを。

それは、バーバラ・ハンニガンのソプラノで聴いていると、100年前の音楽を聴いている気がしないからかもしれない。


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