アナログレコードのレーベル面がある内側の無音部分(ランアウトとも呼ばれる)には、そのレコードに関する情報が刻印されていて、コレクターや音の良いレコードを探す人にとっては重要な情報源となっている。それはレコードが制作されるプロセスとも密接に関係している。有名なのがマトリックス番号と呼ばれるもので、マスターテープからカッティングされた世代を示している。この番号が小さいほど、「元の音情報に近い」ということで中古市場で高い価値があるものとなる。
STERLING刻印やMASTERDISK刻印とは何か - マスタリングスタジオの役割
マトリックス番号ほどではないが、気になるのが、STERLING刻印やMASTERDISK刻印と言われるもの。主に米国、カナダの北米で製造、流通したレコードに刻印されている。これはSterling Sound社やMASTERDISK STUDIOS社といった独立系のスタジオでマスタリングされたことを表しているが、まずはそのマスタリングスタジオの役割を知っておく必要がある。
アーティストやプロデューサーがアルバム制作を終えると、最終的な完成品の「マスターテープ」ができ上がる(デジタル録音ならデジタルデータファイルとして存在する)。「マスターテープ」があるだけでは商品として流通、販売することはできないので、それをレコードやCD、あるいはデジタルダウンロードやストリーミングなどの販売チャンネルに応じたメディアやフォーマットに変換しなくてはならない。
レコードならカッティングを行うし、CDなら44.1KHzにダウンコバート、ダウンロードなら192KHzのハイレゾフォーマットへ変換、Apple Musicなどのロスレスストリーミング向けにはその特性に応じた最適化を行う。こうした処理はレコード会社やレーベルのインハウスでも行えるが、アーティストやプロデューサーの意向によっては、音質的に特色があり優秀なエンジニアがいる外部の独立系のマスタリングスタジオが利用されることになる。こうしたマスタリングスタジオは1970年代から存在していて、アナログレコード向けのマスタリング処理やカッティングを行い、その盤面にスタジオ名が刻まれている。
STERLING刻印やMASTERDISK刻印があるレコードは音が良いと言われるのは本当なのか?
STERLING刻印やMASTERDISK刻印があるレコードは音が良い、というのが通説になっているが、実際はどうなのだろう? 「良い音」というのもずいぶん主観によって違いがありそうだが、前記したマスタリングスタジオの役割などから考えてみると、次のことは言えそうだ。
- マスターテープのサウンドをレコードなどの配布メディアに収めたときに、そのマスターテープのサウンドをできるだけ失わないようにカッティングされていること
- 民間向けの一般的な再生装置でも十分な再生音質になるように考慮されていること
- マスタリングスタジオ名の刻印があるレコードは、初期に生産されていること(カッティングマスターを経てのスタンパーで製造できるのは数万枚程度らしい)
など、上記のことからも「マスターテープに近い音」が聴けることが期待できる。それで、自分のレコードラックをチェックしてみたところ、いろんな刻印があるものが数十枚あったので改めて、SHUREの初期型V15 TypeIIIやM44Gのカートリッジで聴いてみた。
STERLING刻印のレコードの音は? - 品位が高く、美学的
Sterling Soundでマスタリングされたアナログレコードは1970年頃から現在でも存在するし、アーティストの幅も広い。それだけ信頼されているマスタリングスタジオなのだろう。それにオリジナルのリリースだけでなく、リマスタリングや重量盤での再発のマスタリングなど多岐に及んでいる。
音質について書くなら、本来は同じ米国盤でSTERLING刻印の有無で聴き比べをしたいところだが、刻印をチェックしていたときにB面だけがSTERLING刻印のRoy Bchananのファーストを見つけた。おそらくレコードがたくさんプレスされる過程で、A面とB面のスタンバーのセットが何かの事情ではぐれてしまったのだろう。なのでA面はレコード会社などでのカッティングで、B面がSterling Soundのカッティングとなる。これで聴き比べてみる。
もともとRoy Bchananのファーストはすごくシンプルな録音で、無刻印のA面でも普通に彼のテレキャスターからのブルースフィーリングが十分伝わってくる。それがSTERLING刻印のあるB面になると高音のクリアさやベースの深みがましてくる。ワイドレンジで音の鮮度が高く、テレキャスターの音もいかにもテレキャスターらしいリアルさが増してくる。これがSterling Soundの成果なのだろうか。
次にKing Crimsonの『Island』を聴く。King CrimsonだけでなくBrian Enoなど1980年代の『Edition EG』シリーズで再発売になったアルバムにはSTERLING刻印が多く、狙い目かもしれない。この『Island』はカナダ盤でハーフスピードカッティングされているという話を聞いたことがあるが、その真偽は不明。音質はこれもクリアで温かみがあり、ボズ・バレルの声も肉感的でリアル。もともと派手なアルバムではないが、非常に品の良いまとまり方をしている。英国オリジナル盤は聴いたことがないが、日本盤よりもはるかにこのアルバムの雰囲気が的確に捉えられているように感じる。高価なオリジナルでなくてもこの『Edition EG』シリーズの再発で僕は十分に堪能している。なお、STERLING刻印の「STERLING」の文字は時代よってサイズや文字間隔は変わっていく。
次はVan Der Graaf Generatorのライブアルバム『Vital』。ロンドンパンク全盛期の1978年1月のマーキークラブでの演奏をそのまま収録した2枚組。『Vital』というタイトル通り、プログレバンドでありながら、その時代の空気を十分に吸い込んだものすごくアグレッシブな演奏で、King Crimsonの『Earthbound』を凌駕し、PILや『Black & White』期のStranglersに近いものを感じさせる。プログレッシブであることが時代の最前衛であることを実証して、時代に呼応してみせたインテレクチュアル パンク アルバム。
さて、そのライブのエネルギーに溢れる演奏をレコードにどう封じ込めるかが課題となるが、ここでは「エネルギーは損なわずに破綻はさせない」というギリギリのアプローチをしたように思う。アグレッシブでありながら、ボーカルや楽器の分離は明快で、それでいてバンドの一体感を損なっていない。荒々しいが美的というマスタリング。
David Crosbyの『Here if you listen』は2018年のアルバムで、1971年の『If I could Only Remember My Name』を継承するようなサウンドを聴かせる。楽曲、演奏、歌のどれもがバランスよく、静的でありながらメッセージ力ある音楽となっていて、録音も極めてクリアで分離がよい。
ここでもSTERLING刻印のスタイルは健在。品が良くて美学的、ワイドレンジありながらそれを強調することなく、アコースティックな響きと歌声を美しくまとめ上げている。オーディオ的な完成度も高い。
その他、所有しているSTERLING刻印のレコード以下の通り。
- David Crosby / Here if you listen
- Ric Ocasek / Btutitude
- David Bowie / Diamond Dogs
- David Bowie / Blackstar
- Robert Plant / Shakin’n Stirred
- Lou Reed / Street Hassle
- Lou Reed / Take No Orisoners
- Steve Hunter / Swept Away
- King Crimson / Island - Edition EG
- Brian Eno / Another Green World - Edition EG
- Brian Eno / No Pussyfooting - Edition EG
- Brian Eno / Music for Films - Edition EG
- Duncan Brown / Street of Fire
- Andy Summers / xyz
- Stone The Crows / Teenage Licks
- Peter Hammill / Sitting Target
- Van Der Graaf Generator / Vital - live
- Renaissance/ Live at Carnegie Hall
- John Cale / Slow Dazzle
- John Cale / Honi Soit
- Captain Beyond / Sufficient Breathless
- Free / Heartbreaker
- Mountain / Nantuket Sleighride
- West, Bruce & Laing / Why Doncha
- West, Bruce & Laing / Whatever Turns You on
- Bruford / One of a Kind
- Jimi Hendrix / Axis Bold As Love - 重量盤再発
- Jimi Hendrix / Live At Filmore East - 重量盤再発
- Roy Buchanan / 1st
- Spooky Tooth / The Mirror
- Bedlam / 1st
- Donovan / Cosmic wheels
- Main Horse / 1st
- Group87 / 1st
- Tim Buckley / Lorca
- Fleetwood Mac / Penguin
- Marianne Faithfull / Broken English
- John Mclaughlin / Explosion
- Focus / Focus3
- John Mayall / Moving On
- John Mayall / Empty Rooms
- Eagles / Hotel California
MASTERDISK刻印のレコードの音は? - 音の密度が高い
MASTERDISK刻印は、MASTERDISK STUDIO社でマスタリング、カッティングしたレコードに刻まれている。MASTERDISKのみのときもあれば、MASTERDISKに加えてエンジニアのイニシャルも刻印されているものもある。
拙宅ではSTERLING刻印ほどの枚数はないが、1970年代後半のVan Der Graaf Generatorのスタジオアルバム2枚がMASTERDISK刻印だったので改めて聴いてみた。『World Record』は1976年のアルバムで、初期からのラインアップでの最後のアルバム。
音質的には『Vital』のようなワイドレンジで鮮明で分離のよい方向とは違い、一定のレンジの中で音楽を密度高く表現している印象。音の密度が高い分、ダイナミックなところがあり、ある程度大きい音で再生したときに真価を発揮して、スリルのある演奏が聴ける。いかにもロックっぽいとも言えそう。
手持ちの他のMASTERDISK刻印のアルバムも同じ方向性。あと意外とマイナーなアルバムがあって、『 No New York』のハイエナジーな演奏をレコードに閉じ込めたはMASTERDISKならではの手腕か。SuicideのキーボードのMartin Revのファーストの密度の高い空間性もいい。
所有しているMASTERDISK刻印のレコード以下の通り。
- Van Der Graaf Generator / Godbluff
- Van Der Graaf Generator / World record
- David Byron / Take No Prisoners
- Kieth Emerson with The Nice / 2LP Best
- No New York / No New York
- Martin Rev / 1st
- Marianne Faithful / Strange Weather
- Kraftwerk / Autobahn
その他のマスタリング刻印
手持ちのレコードの刻印をチェックしている時に他にも色々な刻印があることがわかった。
MASTERED BY CAPITOL刻印
これはCapitol Studio でカッティングされたレコード盤に刻まれる。Be Bop DeluxeやParisの米国盤やYESのサードの重量盤再発などがそうだった。一聴して感じることは、左右のステレオ空間が広いこととサウンドの効果が明確に表現される。
Be Bop Deluxeでは、全体に軽くフェーザー処理が入る音の動きが顕著。モダンロック、デジタルロックのイノベーターだったこのグループの音楽性が明確に伝わってくる。YESのサードアルバムは180g重量盤での再発。これも左右のステレオ空間の音の移動と広がりがあり、リバーブがかかったSteve Howのギターがサウンドステージに浮かび上がってくる。MASTERED BY CAPITOLは空間表現に長けているようだ。他にはこんなレコードがあった。
- Be Bop Deluxe / Futurama
- Be Bop Deluxe / Sunburst Finish
- Be Bop Deluxe / Modern Music
- Be Bop Deluxe / Drastic Plastic
- Bill Nelson / Sound-on-Sound
- Robin Trower / Days of The Eagle
- Paris / Paris
- Paris / Bigtown 2061
- Yes / Yes Album - 重量盤再発
Mastered by Truetone刻印
Truetone Mastering Labs によるカッティング。Tangerine Dreamのライブアルバムしか手元になかったが、同タイトルのCDと比べてもワイドレンジでクリア。ライブならではもリアルな雰囲気が感じられる好アナログマスタリング。
MASTERED BY ALLEN ZENTZ L.A. CALIF
これも一枚だけ。元King Crimsonのドラム、Bill Brufordの1980年作『Gradually Going Tornado』には、「MASTERED BY ALLEN ZENTZ L.A. CALIF.」の刻印が誇らしげに入っていた。 刻印の通り、ロスアンゼルスにスタジオを構えるAllen Zentz氏によるマスタリングとカッティング。Discogsの資料を見るとQueenやKissなども手がけているようだ。
音はBrufordのドラムがシャープで彼独特のアタック感が強めで、全体にクリアでフレッシュなサウンド。いかにも1980年代のトレンドを感じさせるフュージョンぽさもあるジャズロックアルバムに仕上がっている。
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こうした聴いてみると、各マスタリングスタジオの特徴がわかって興味深かった。オーディオ的に音質が良く、品格があり美的にまとめるSTERLING、音楽のエッセンスを凝縮してパワーで聴かせるMASTERDISK、サウンドの空間処理に長けたCAPITOLなどなど、どこも個性的でアナログレコードの奥深さを感じさせてくれる。
やっぱりアナログレコードは面白い。