Sound & Silence

本多重夫の音楽、オーディオ、アートなどについてのプライベートブログ

Carl Stone, Brian Eno, Kali Malone, Laura Allan, Forgiveness - 最近のリリースで気になったもの

最近レコードをあまり買っていなくて、仕事をしながらストリーミングで聴いていた中で気になったものを少し紹介。

Carl Stone / We Jazz Reworks Vol.2

Carl Stoneとは90年代初めにCD-ROMソフトのプロジェクトで関わったことがあり、その後も数回日本でのコンサート企画のお手伝いをしたことがある。実はその前からNHKの「現代の音楽」の番組で作品は聴いたことがあって、いわゆる西海岸(ロスアンジェルス)のミニマル派という括りで紹介されたが、そのころから音楽の時間軸や音色を継続的に変化させていくことで独自の世界観を生み出していた。

彼はMacをライブで操作して音楽を演奏するという野心的な試みを最初に行った作曲家でもある。それはMacBook Proを使う現在でも変わらない。サンプリングした音素材を巧みに変容して、それでいて5秒聴けば彼だとわかる強烈なオリジナリティを備えている。また、現在まで中京大学の教授を20年以上勤めおり、facebookではストリートフォトグラファーでもある。

このアルバムはフィンランドのジャズレーベルの企画で、アーティストの楽曲を素材にしなが、見事にCarl Stone Jazzにしている。彼はインプロバイザーとの共演をライブでしているが、与えられた相手の(素材の)音楽の捉え方、それを聴く耳が瞬時に本質を掴むことができるのだろう、即興のようでもあり、緻密に計算されているようでもあり、変幻自在に変容していく。非常にスリリングな音体験をもたらす1枚。

Brian Eno / FOREVERANDEVERNOMORE

正直、最近のBrian Enoは僕にはよくわからない。政治的だったり、哲学的だったりの発言が多く、社会学者とYouTubeで対談ばかりしていたりする。年齢的にもキャリア的にも、大御所になったということかもしれない。

このアルバムの全体のトーンは21世紀版の『Before and After Science』。久しぶりに彼の歌声を聴くことができる。これを聴いていると、別に否定的な意味ではなく、「年老いた人の晩年の音楽」という感じがする。それは円熟しているという意味でもなく、前にも触れた晩年のモネの「睡蓮」のように、ただぼんやりとそこにあるモノとして存在する。まさしくアンビエントなのかもしれない。

FOREVERANDEVERNOMORE

FOREVERANDEVERNOMORE

  • ブライアン・イーノ
  • オルタナティブ
  • ¥1935
music.apple.com

Kali Malone / Living Torch

3年前の前作『The Sacrificial Code(生贄の証) 』に続く、『Living Torch(生ける燈)』。前作は小型のパイプオルガンによるドローンだったが、今回もおそらくオルガンとディストーションがかかったエレクトロニクスが使用されたドローン。こういう音楽が米国のアーティストから生まれてくるのが時代を象徴しているのかも。

こうした音楽は音量によって表情を変える。特にスピーカーで大きな音で聴くと、極めて単調に連続する音が違って聴こえてくる。本当にの音色が変化しているのか、それとも聴き手の聴覚が変わっているのか曖昧になり、こうした音楽の凶暴な側面が見えてくる。

Laura Allan / Reflections

ダルシマも演奏するシンガーソングライターのLaura Allanの1980年の作品のリイシュー。僕は今回初めて聴いたが、ナチュラルなニューエージ風のアンビエント作品。自ら演奏するダルシマ、ハープとゲストのフルートの調べをバックに彼女のボカリーズが深いリバーブで柔らかな陽射しのように鳴り響く。

今では失われてしまった、テロもパンデミックも戦争もない、明日は今日より良い一日になることが無邪気に信じられた時代の音楽。

Forgiveness / Next Time Could Be Your Last Time

テロもパンデミックも戦争もある時代に相応しい『次回は君の最後の時』とタイトルされ作品。洗練されたジャズを聴かせる(好きなユニットである)Porttico Quartetのメンバーでマルチルード奏者のJack Wyllieが中心となったユニットのエレクトロ ミニマル アンビエント。シーケンサーのリズムと旋律をバックに彼のフルートや各種リード楽器がアクセントを付けていく。

このアルバムの紹介で「70年代ECMを彷彿とさせる」というのがあるが、当時ずっと聴いていた者からすると違和感がある。同じようにシーケンサーをバックにサックスを吹いていたジョン・サーマンを指しているのかな? このアルバムには、70年代ECMにあった独特の張り詰めた緊張感や突き放すようなところはない。むしろ聴き手に寄り添うような「共感の時代」の音楽になっている。繰り返し聴いているし、いアルバムだと思う。

こんな風に音楽を聴きながら、毎日は過ぎて行く。


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