自分が60歳を超えて「老人」の域に向かっていると、老人となった先輩達が何をしているかが気になってくる。
若い頃は、芸術家の晩年は活力を失ったノスタルジアばかりではないか、思っていた。 『叫び』で有名なムンクの晩年の作品には、もうノイローゼや強迫観念のようなものはなく、自然な光の温厚な作品だし、晩年のキリコは若い頃の自分の作品の模写ばかり。晩年のモネのぼやけた睡蓮ばかり書いている。ブラームスの晩年のピアノ曲やショスタコービッチの弦楽四重奏もしかり。しかし、70歳を超えても上半身裸で『I Wanna Be Your Dog』を熱唱するIggy Popもいるので、晩年が全てそうではなさそうだ。
ただ共通に、もはや誰かのために作品を作ったり演じたりして何かを伝えようという強い欲求よりも、自分のための営みとしてあるように感じる。そこから生み出されるものは、それまでの年月を経てたどり着いた「現在の自分」に向き合った、ある意味、非常にパーソナルで、かつ純粋なものなのかもしれない。
そんなことを考えるきっかけとなったが今回のアルバム。最初は5年前に見たこのビデオからだった。
老人がKORG 01/W キーボードの前に座り、古い真空管のアンプとオープンデッキに繋いで即興で音楽を生み出す。その音楽が特別なものに感じられたのだ。
老いたフォトグラファーがエレクトリックキーボードの前に座って何かを弾く
この演奏をしているWilliam Eggleston(1939-)は、米国を代表する写真家で、特に1960年代からアメリカの日常の瞬間を捉えたカラー写真を使った様々な試みは高い評価を受け、その作品はMOMAにも所蔵されており、現在のストリートフォトグラフィを確立した最初の人物でもありそうだ。
http://egglestonartfoundation.org/
彼の写真家しての功績は次の TATEのビデオが参考になる。
そんな彼が自宅で即興的に演奏した作品が『MUSIK』とタイトルされたアルバムとして2017年にリリースされることになる。これまでストリーミングで聴いていたが、最近偶然、アナログ盤の売れ残りを見つけて手に入れることができた。これもレコードで聴くとより深いものがある。
このアルバムに収められた演奏は元々リリースを意図していなかったものだと思われる。最初の鐘の音(KORG M1から入っていた)の短い演奏から、彼が敬愛するバッハの影響が濃厚なオルガン曲(なのでタイトルが独語表記)や長いピアノサウンドでの演奏、初期のTangerine Dreamのようなシンセサイザーサウンドによる演奏など、音色も豊かで、音楽に対する直感的で深い理解がそこにあるように感じる。もちろんプロの演奏家ではないが、音楽的には聴かせどころが多く散漫ではない。レコード盤にはTalking HeadsのDavid Byrneの「Amazing!」というコメントの ステッカーが貼ってあった。まさしくその通り。
レコード盤はパッケージも凝っていて、内ジャケットは彼のナッシュビルにある自宅の写真、レコード袋にはKORGのキーボードの音色や演奏データに保存に使われた3.5インチFDの写真が使われている。
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こういう作品に触れると、老いるということは下り坂に向かうことではなく、全く新たな道に歩みを進めることもできるのだということが分かる。どこへ向かおうか?