Helene Grimaud(エレーヌ・グリモー) は1969年生まれのフランス人ピアニスト。ピアニストであるだけでなく、絶滅危惧種を保護する活動家でもあり、ニューヨークでWolf Conservation Centerの設立にも関わっていて、またライターでもある、というように社会との関わりが深いアーティスト。最近はこうした単に音楽家だけではない社会的な側面を持ち、主体的に発言するアーティストが珍しくなくなった。
このアルバム『Water』は2016年にリリースされたもので、最近デッドストックの未開封新品のアナログ2枚組を見つけた。『Water』というタイトルの通り水をテーマにしたコンセプトアルバム。コンセプトに合わせてレコードも透明ビニールでプレスされている。
地球の表面を覆っているように、水は私たちの身体の大部分を占めていて、生命にとって欠くことのできない源泉。水は自然の彫刻家であり大地を形作る。
と彼女は書く。そして『水』にまつわる次の8曲が選ばれ、その曲間を Nitin Swahney が制作したアンビエントサウンドでつながれている。ムソルグスキーが『展覧会の絵』で曲間を『プロムナード』でつないだように。その効果は大きく、アナログレコードでレコードをひっくり返しながら聴いても、河の流れを見ているように時代を超えた楽曲から楽曲へと自然な流れを感じさせるし、楽曲への新たな気づきもある。
- Berio: Wasserklavier
- Takemitsu: Rain Tree Sketch II
- Fauré: Barcarolle no.5
- Ravel: Jeux d'eaux
- Albeniz: Almeria
- Liszt: Les jeux d'eau à la Villa d'Este
- Janacek: In the mists 1
- Debussy: La cathédrale engloutie
この中でも、冒頭のベリオと武満の演奏は特に素晴らしいように思う。20世紀の作品であっても作曲者とは遠い世代によって演奏されることで新たな魅力が加わっている。武満の曲はもともと美的であるが、その美しさがいっそう際立っている。
フランスものの楽曲が多いが、彼女に往年のベロフやミケランジェリ、あるいはアルゲリッチのようなピアニズムを求めるのは的外れだろう。個々の楽曲は属性というかプロパティが剥ぎ取られ、リセットした上で彼女自身が設定したテーマに沿って新たな意味づけがされている。つまりこのアルバムは彼女によってキュレーションされた作品、そしてその流れの中での演奏として理解する必要がある。
なので、終盤のヤナーチェクの「霧の中で」、ドビュッシーの「沈める寺」の演奏は、個別の曲としてであればもっと違ったレベルの演奏もあるのだが、冒頭のベリオや武満の演奏の流れの中にあるとすれば、このレコードに納められた演奏でいいのだと思う。
オーディオ的なこと
ハイレゾファイルやSACDの時代に、クラッシックの新譜のアナログレコードを買うというのは随分酔狂なことだが、レコードで聴くとより自分に近い音楽として聴けるのはレコードで育ったからか。デジタル録音された音源をアナログレコードにプレスしてなんの意味があるのか、という主張はもっとも。
こういう新しい録音のクラシックは、SHURE V15 TypeVにボロンカンチレバーのSAS針が合う。高音質なカートリッジならではの表現で、ピアノから音の香りがただよってくるような空気感がある。
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レコードを繰り返し聴くということは、方丈記の一説に通じるものがある。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
聴く前と聴いた後では同じ自分ではなく、時間は過ぎ、陽は傾き、過ぎた瞬間が戻ることはない。その移り変わりが繰り返されていく。