Sound & Silence

本多重夫の音楽、オーディオ、アートなどについてのプライベートブログ

映画『悪の寓話(Favolacce)』- 絶望への反逆は静かに始まる

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毎年この時期はイタリア映画祭があり新作、旧作が上映される。昨年と今年はパンデミックの影響でオンラインの有料上映があり何本か見てみた。僕の中でのイタリア映画は、フェリーニ、ヴィスコンティ、アントニオーニ、パゾリーニといった監督のものは熱心に見たが、それ以来、ずいぶん遠ざかってしまっている。

今年見た中で強く印象に残ったのが、この『悪の寓話(原題:Favolacce - 英語タイトル: Bad Tales)』。2020年の作品で監督は1988年生まれの双子のディンノチェンツォ兄弟。イタリア映画の系譜でいうなら、不条理を描いて告発するミケランジェロ・アントニオーニ監督の伝統を21世紀に復活させたとも言えそう。

日常はいとも簡単に暴力や狂気に変容する

映画は誰かの日記に書かれた実話として始まる。舞台となるのは庭付きの邸宅が並んだ上流中産階級向けの住宅街。従来からの住民は失業して貧しく、この地区がジェントリフィケーション(低所得者のエリアが再開発されて裕福層が流入すること)されたことを暗示している。

この物語の中心となる裕福な一家は両親と13、14歳ごろの男女の兄弟の4人家族。子供達の成績は極めて優秀で非の打ち所がない一家に見えるが、ストレスを抱えた父親は傲慢で短気。直ぐにキレて家族にサディステックに暴力を振るう。その友人の近所の父親もしかり。娘を支配している。そして彼等は女とセックスに異常な関心をよせる。イタリア映画にしては珍しく母親達の存在は薄く、夫の影のようでしかない。

子供達が通う学校の教師は、優秀な子供達にあることを教えて暗に扇動する。そして親達の存在を嫌悪する何人かの子供達は夏休みに静かに反乱を起こし、爆発物を作成してそんな親達を消し去ろうと計画するのだが…。爆発物は親達に見つかり計画は未遂に終わり、さらに絶望的な結末に向かって進んでいく…。

同時に絶望に向かうのは彼等だけではない。貧しく若い身持ちの悪い女とその男のカップルは生まれたばかりの赤ん坊を浴槽で殺し、ホテルの窓から飛び降りる。

J. G. バラードのディストピアへとシンクロする世界

このストーリーを読んで、ある本を思い出した方もいるだろう。僕もそう。この映画を見ている途中で英国の作家、J. G. バラードの1988年の小説『殺す(原題:Running Wild)』に酷似しているのに気がついた。

バラードの小説も裕福な中産階級が住むゲートシティが舞台で、ある日、その街の大人たちが全員殺害され、子供たちは全て失踪するという事件が起こる。最初は何者かが大人達を殺害して子供達を誘拐したと考えられたが、その捜査は行き詰まり、犯罪心理捜査の専門家が送り込まれる。小説はその捜査官の日記の体裁をとっている。彼の捜査の結果は、子供達は周到に準備をして大人達を殺害した後で逃走したという結論に行き着く。

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こうした映画や小説は「現代社会の病理を暴く…」といった常套句で宣伝されるが、そんなことに意味はない。こうした作品に触れたときに思うのは「明日の自分であるかもしれない」ということ。目を向ければ憎悪や絶望、不条理はいたるところにある。「いつまでも部外者で傍観できると思うなよ」という声が聞こえる。

映画『悪の寓話(Favolacce)』予告編

本作品は6月13日までオンラインで視聴可能 www.asahi.com


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