Sound & Silence

本多重夫の音楽、オーディオ、アートなどについてのプライベートブログ

Marantz CD-34の修理 – ビンテージオーディオは修理が大事

去年の8月に購入したビンテージのCDプレーヤー、Marantz CD-34。気に入ってCDをよくかけていたたら、3月に入って電源を入れいるときにバリバリっというノイズが出るようなり、それでもCDをセットすると再生はしていたが、ある日からCDを認識しなくなってしまった。それで購入元のハイファイ堂に送り返して修理してもららうことに。

コスパやタイパとは別世界

製造から30年以上経過している製品なので、予期せぬ故障はやむなし。おそらくこれまでも何度か修理されていることだろうし、むしろちゃんと整備されいることが大切だったりする。こういうビンテージ品のこのあたりを理解していないと、「せっかく買ったのに」という不満ばかりが募ることになる。それは、オーディオだけでなく。ビンテージの家具、クルマ、楽器などにも共通のこと。

家具でもオーディオでも楽器でも、ビンテージ製品は芸術品でなく日常使うものとして自分の日々の生活の中で楽しもうとしているのだから、ある種の割り切りというか、上手に楽しむ余裕のような感覚も必要なる。つまり、今の言葉で言われる「コスパ」とか「タイパ」とは対極。

体験している時間と体験していない時間

ビンテージには、体験している時間と体験していない時間のモノがあるように思う。例えばミッドセンチュリーと呼ばれる家具は、当然その当時のことは本や映像でしか知らないわけで、自分が体験していない時間からポンっと目の前に現れる。

先日購入したMarantzの1970年のパワーアンプだって当時僕は12歳で生きてはいるが、その製品のことは当時は全く知らなかった未知の存在。電気を入れば音は出て、その音が「今」の自分にとって意味があるというか、自分が理想と感じる音楽を聴かせてくれるかどうかにかかってくる。ビンテージの家具だって、時間をさかのぼることはできないので、今の時間の中で、その古く、長い時間が蓄積されたものを使うことの意義(単に心地良いとか好きでもいいのだが)が試される。言葉を変えれば「今のモノ」では得られない体験をそこに求めている。

このCD-34だと、20代だった発売当時一度使ったことがあって、どんなものか一度体験しているいるが、そこに懐かしさを求めているのではなく、今の自分のオーディオシステムの中でもう一度使ってみたいということ。なので傾向は同じでも出てくるサウンドは当時とはまったく違う。

修理されてまた今の日常に帰ってきた

CD-34は、CDを認識しないという症状なので修理に長くかかると思ったが、2週間ほどで戻ってきた。売りっぱなしでなくて有償でも修理してくれるのは大切。今回の故障の原因は電源スイッチの内部接触不良だった。

接触不良で十分な電力が回路に供給されなかったのだろうか? スイッチのパーツ交換でトラブルは解消。CDの認識も以前より早くなった気がする。

やはり、特にリマスタリング前の古いCDには時代的にも合っていて、雰囲気がいい。こういうのは最新のCDプレーヤーで得難いものがある。これでまた暫く安定して楽しめるといいな。


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