Sound & Silence

本多重夫の音楽、オーディオ、アートなどについてのプライベートブログ

John Coltrane / Live at the Village Vanguard Again! - 巡礼の音楽

最近、中古レコードで購入したファラオ サンダース加入時代のコルトレーンの 「Village Vanguard Live Again!」を聴いている。ピアノはアリス コルトレーン。同じ1966年には「Ascension 」をリリースし。フリージャズに果敢に取り組んでいた時代の音楽。この晩年のコルトレーンを「孤立してダメになった」ジャズミュージシャンと言うジャズファンもいる。そうなんだろうか?

僕はメインストリームのジャズファンではなく、ロックや現代音楽からデレク ベイリーやマイルスの「Bitches Brew」を経由してジャズを聴くようになったので、少し違った聴き方をしてしまう。

このコルトレーンの 「Village Vanguard Live Again!」の演奏は、僕には後期ロマン派の断末魔の演奏にように聴こえる。それは、B面の「My Favorite Things」に顕著で、過去にあった悠然とした貫禄のあるパフォーマンスではなく。コルトレーンが演奏するメインテーマがすでにバラバラに切り刻まれたフレーズのパッチワーク状態で、時おり現れるオリジナルのままのフレーズが、なつかしさの幽霊のように姿を見せる。

それを引き継ぐファラオ サンダースのソロは、まるで、その幽霊を追い払う悪魔祓いか、祈祷師の嘆きのようだ。最後にサンダースが吹くメインテーマが束の間現れて、コルトレーンのソロに戻る。こうして聴いているとコルトレーンのソロはフリージャズとなるには、フレージングも音色もきれい過ぎたのかもしれないという思いがよぎる。だからそれから逃れるように、音を潰したり細切れにするような、ああした演奏方になったのかもしれない。

この25分に及ぶ演奏の最後で、コルトレーンがもう一度メインテーマのフレーズを吹くとき、全てはその美しさに辿り着くための巡礼のような演奏だったのだと気がつく。 今でもコルトレーンのファンが多いのは、彼のそうしたひたむきに美と真実を求める自己犠牲的な演奏に魅了されるからだろう。

コルトレーンはこのアルバムの翌年、1967年に肝臓癌で40歳の若さでこの世を去ることになる。もし、あと10年演奏を続けていたら、豊かなポストフリーのコルトレーンの演奏を耳にすることができたかもしれない。


© 2019 Shigeo Honda, All rights reserved. - 本ブログの無断転載はご遠慮ください。記事に掲載の名称や製品名などの固有名詞は各企業、各組織の商標または登録商標です。