このアルバムはDavid Bowieの歌のない、インストゥルメンタルの曲だけを集めて2001年にリリースされたもので、実は僕はこのアルバムの存在をAppleMusicの中で見つけるまで知らなかった。
資料によると、このインストゥルメンタルを集めたアルバムは、最初CD2枚組のサイン入り私家版として150セットがボウイのごく親しい人たちに配布されたもの。それがコレクター垂涎の逸品となり高値をつけるようになり、新たに選曲をやり直してCD1枚ものとして正式にリリースされることになった。
『Low』『Heroes』のアルバムは半分位はインストゥルメンタルだったし、僕も昔は歌無しの曲だけをカセットテープにダビングして聴いていたことがあって、このアイデアはよく分かる。聴いていると妙に落ちくつ。
David Bowieのインストゥルメンタルの魅力
ボウイのインストゥルメンタル楽曲の特徴はジャーマンエレクトロニックミュージックとミニマリズムの影響が大きいこと。『V2 Shunaider 』とはそのままクラフトワークのフローリアン・シュナイダーへのオマージュだし、『 Weeping Wall』では、一聴してスティーブ・ライヒ、フィリップ・グラスのミニマルミュージックの直系であることが分かる。
収録された楽曲のほとんどはブライアン・イーノとの共作。ブライアン・イーノが一人だと非常に静的で知性に裏打ちされたサイバネッテックなアンビエントミュージックになるが、ボウイとのコラボレーションでは、妙に人間臭い、インストゥルメンタルなのに歌心がある音楽になるのが面白い。ただ、その音風景は、乾いて温度感のない都市のランドスケープを思い起こさせる。
それは、『A New Career in a New Town』やA『Subterraneans』などに顕著で、さらに『Warszawa』でのアフリカの祈りの声のように聞こえる無国籍なボカリーズ、『Neuköln』では、ボウイの破滅的なサックスプレイが冴えている。ボウイの吹くサックスは、何か荒涼としたころがある。ボウイの音楽を聴いていると、この人の心の中には、廃墟を吹き荒ぶ風のような、そんなものをずっと抱えてしまっているように感じることが少なくない。そこにまた聴き手も共振していくのだが。
このアルバムの最後はフィリップ・グラスの大作『ロウ・シンフォニー』から一部で終わる。ボウイ、イーノ、グラスの3人のコラボレーションで、『ロウ・シンフォニー』の続編として『ヒーローズ・シンフォニー』という作品もリリースされている。ミニマリズムに影響をうけたボウイの作品が、逆にミニマリズムの作曲家によって作品化されるというパラドックス。両方CDで持っているが、それらもフィリップ・グラスらしい素晴らしい仕上がりになっている。
雨の日や夕暮れ時が似合うアルバム。変わるようでいて変わらない時間。時間が進み方が変わってしまったように感じられるとき、何か物思いにふけるとき。そんなときにセットしたくなるCDだ。このCDをかけると、歌のない歌が聴こえてくるようだ。