去年の終わり頃からScott/ Walkerの晩年のアルバムをまとめて聴いている。聴けば聴くほど深みにはまりそうな音楽で、彼の晩年のアルバムに比べたらDavid Bowieのベルリン三部作ですら当たり障りのないポップなアルバムに聴こえてくる。
多くのアーティストは歳を重ねると昔を繰り返すことが少なくない。キリコやムンクのような画家でも晩年は全盛期の作品を自ら繰り返し描くようなことをしていたし、ミュージシャンでも(その年老いていくファンを含め)、昔の楽曲やアルバムの再現演奏をひたすら繰り返す。
Scott Walkerはそうしたことを一切しなかった。アルバムを作り終えたら、もうそれは2度と聴かない。制作の過程で何千回も聴いているので完成したらそれは終わったことで、もっと先にだけに向かっていく。何も繰り返さない。
Scott Walker - のヨーロッパの異邦人
Scott Walker、本名Noel Scott Engel (1943 – 2019)は、米国出身で1964年(21歳)の時に英国に渡り、本当の兄弟ではないが他の二人とWalker Brothersとしてデビューしアイドルグループと大成功する。最初はメインボーカルではなかったが、彼の歌った曲がヒットしたことからグループのリードボーカルとなる。日本でも当時アイドルグループして人気が高かった。
グループ解散後ソロに転向するが、それに合わせて非ポピュラーミュージック的な要素が加わり始める。彼は当時のベルイマンやフェリーニのヨーロッパ映画からの影響、それにビート詩人やフランスの歌手のジャック・ブレルの影響を受け、自分のアイデンティティを「米国人ではあるが、ヨーロッパの視点で生きてるいる」と定義している。言葉を変えると、生活者としてのヨーロッパ人ではなく、ヨーロッパの文化(それもアバンギャルドな文化)に感化された ヨーロッパの異邦人として。
ソロになった最初の頃はヒット曲もあり、BBCで番組を持つなど「元アイドル」として活動していたが、以前紹介した1969年の『Scott 3』からポップからの逸脱が始まり、次の『Scott 4』が商業的に期待通りではなかったのでレコード会社との契約がなくなる。
Climate of Hunter (1984年) での一時的なカムバック
その後、Walker Brothersの再結成などがあったが、1984年(41歳)の時にバージンレーベルと契約して『Climate of Hunter』をリリースする。2021年のベストアルバムでも触れたが、一聴した感じでは時代にあったモダンロックアルバムなのだが、どこか暗く、ざらっとした感触がある。アルバムの最後の曲は場末のカントリーソングのような『巻かれた毛布のブルース』という短い曲なのだが、その毛布に巻かれているものは何なのか、死の香りがしてくるような曲。
Tilt (1995年) - 黒い霧が闇を包み始める
11年の沈黙の後に4ADレーベルと契約し52歳で『Tilt』をリリース。4ADはDead Can DanceやBauhausを要したレーベルで、Scott Walkerの世界観とも一致する。ようやくよき理解者を得て彼の目指す表現がその正体を現し始める。当時のレビューは彼があまりもメインストリームの音楽から逸脱してしまったことに戸惑っている。
朗々と不条理を歌う伸びやかなバリトンボイス。一人芝居というかドラマを感じさせるその歌い方が、David BowieやPeter Murfuyに与えた影響は大きいだろう。演劇的なそのスタイルが、バックの不安感漂う演奏と相まって黒い霧の中を歩んでいくような音世界を生み出す。ただ、この後のアルバムを聴くと、これがほんの入り口に過ぎないことがわかる。
The Drift (2006年) - 目指していた音楽がその姿を表す
前作からさらに11年後に4ADからリリースされたがこの『Drift』。このとき63歳。前作よりもさらに深みを増し、おそらく彼が目指した音楽がその完成形に近づいていく。単に音楽というよりも音によるシアターピースとも言えそう。ここまで聴き続けてきて驚くのは、彼の音楽は全てが厳密なスコアがあって予めその音楽がどう鳴り響くのかが決められていること。その制作プロセスも細部に渡り徹底している。
この『Drift』のレコーディング風景のビデオが2本存在するが、ギターのリフの録音から、チャイムというか金属片の音、肉の塊を殴りつける音、その一つ一つの音が極めて神経質に選ばれて録音されていく。楽曲どこに何の音が入るのかが、全て徹底的に推敲されている。その厳格さはヴェーベルン的ですらあり、確かにこの作品を作り上げるには10年以上の歳月を要しても不思議はない。
彼がこのアルバムのインタビューで、1番難しいのが「言葉が降りてくるのを待つこと」と答えている。歌詞とそのテーマに非常にこだわる。このアルバムの1曲目は不穏なギターリフの『Cossacks Are(コサック人は) 』。
消滅していく心へと
吸い込まれていく歌が回る
気高く、初めての経験は
ぐるぐる回りながら
求めるものを捕まえようとする
と、歌い出され、コサックダンスのリズムが闇の舞踏のような様相を見せ始める。2曲目の『Clara』は1945年4月28日に独裁者ムッソリーニと一緒に処刑されることを希望した愛人のClaretta Pettaci についての曲。処刑後二人は並んで逆さに吊り下げられて見せ物にされた。
鳥よ
鳥よ
これはトウモロコシの皮でできた人形ではない
月明かりの中で血に浸されている
かつて
アメリカであった
ことのように
この「アメリカであったこと」は、 Billy Holidayの歌で知られる『奇妙な果実』の木にぶら下げられた黒人の死体のことを指している。人間の残忍性。
Bish Bosch (2012年) - 異形な悪夢の綴織り
今度は少し間隔が短く、6年後の69歳の時にこの『Bish Bosch』をリリース。さらに彼の音楽世界の純度は増し、音楽というよりも音響のある詩篇というか、音楽という枠組みすら溶解している。中核にあるのは彼の歌、その歌声。そして歌詞。このアルバムも制作風景のプロモーションビデオがある。剣の刃がこすり合わされる音など音響に関する異常な執着がみてとれる。
タイトルの『Bish Bosch』について、彼は特定の意味はないがその音(韻)とBoschというのが、『悦楽の園』の宗教画で有名な中世の画家『ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)』の一部から取られている、と言う。
1曲目は『See You Don’t Bump His Head(彼の頭にぶつけてはいけない)』。恐怖に脈打つ鼓動のようなリズム。
白鳥の歌から
羽をむしり取りながら
春はゆっくりと
親指を瞳に
めり込ませていく
白鳥の歌から
羽をむしり取りながら
蜘蛛の巣は
子宮の中に
溶けていく
白鳥の歌から
羽をむしり取りながら
抑えきれない欲望は
スカルピアを歌う
- スカルピアはオペラの中の歌曲
『Epizootics』はプロモーションビデオがある。タイトルは「動物流行性」の意味。そこにあるのはダンスへの強迫観念。
本作のハイライトは20分以上におよぶ『SDSS 1416+13B(Zercon, A flagpole sitter)』。Zercoは5世紀頃に実在した醜い道化師で、王の一種のエンターテイナーに徴用された人物の話に基づいている。歌と沈黙とノイズ。
アルバムの最後は『The Day The “Conductor” Died(Xmas Song) - 指揮者が死んだ日(クリスマスソング)』。
私は慈しむ者、憐れみ深く、思いやる
あぁ。それほどでもなく
あぁ。とてもそう
私は外交的で社交的
あぁ。それほどでもなく
あぁ。とてもそう
私のパートナーは
積極的でなければならない
あぁ。それほどでもなく
あぁ。とてもそう
誰も温まる火を待ってはいない
誰も温まる火を待ってはいない
誰も温まる火を待ってはいない
不気味なほど静かな曲で、遠くからソリの鈴の音とクリスマソングのオルゴールが聞こえてくる。このアルバムでScott Walkerは40年以上におよぶ音楽の旅の終着点に到達したように感じる。
このScott Walkerのアルバムが、DaughterのAlexis Marshallに与えた影響は大きかったのではないかと思う。2019年にリリースされたアルバムの特異な彼のボーカルスタイルや楽曲の世界観は共通している。
Soused(2014年) - 音の雲が沈黙を埋め尽くす
このアルバムは実質的に彼の最後のアルバムとなる。2014年、71歳でのリリース。このアルバムでは全面的にドローンメタルバンドのSunn O)))との共同制作。なので表記は「Scott Walker+Sunn O))) 」となっている。このコラボレーションが唐突かというと全くそんなところはなく、Scott Walkerの音楽の中でSunn O))) のサウンドは完全に一体化している。
このつながりの元はSunn O)))の2009年のアルバム『Monoliths & Dimensions』の制作時にSunn O)))側からScott Walkerにボーカルでの参加を打診したが、いくつかの事情で実現せず、『Monoliths & Dimensions』のボーカルはハンガリーのブラックメタルバンドのボーカルが参加することになったが、交流はその後もあったようで、『Bish Bosch』の制作後に両者で制作が進み、前作から2年という短いスパンでリリースされた。
Scott Walker曰く、沈黙の多い彼の歌には、Sunn O))) のドローンサウンドは最適だったようだ。Sunn O))) のドローンサウンドは単に音が大きいだけでなく、意外とデリケートで繊細な表現があり、それが彼の歌声と共鳴している。変な表現だが、ドローンメタルのロックフォーマットになったせいか前作の『Bish Bosch』よりも聴きやすい。ただ彼の歌詞の難解さはさらに進んでいて、全体が亡びへの哀歌のようにも聴こえる。
"Lullaby"
内面の中心のあって
自律する
最も親密で
個人的な選択と要求が
歌われるだろう
ちがう
ちがう
どうした画家たちは
自分達の雲のような線を
明暗法で
描かないのか
かつてそうしていたように?
だから
無駄に
別のランプを消す
だから
だから
僕は子守唄を歌う
10年後、20年後、あるいはもっと先で再評価されるべき
Scott Walkerは、その後は映画のサントラなどを手掛けるが、2019年3月に76歳でその生涯を閉じる。彼の死は英国では大きく取り上げられ、英国音楽祭プロムスで特集が組まれる。ただ残念なことに、そこで取り上げられたのはソロの初期の作品ばかりで Tilt 以降の作品はなかった。
随分前から彼の晩年の音楽は何となくは知ってはいたが、 その音楽性がただダークであるだけでなく、何か近寄り難いとこがあって、正面から向かって聴くのを躊躇するところがあった。それでもちゃんと聴いてみようと思ったのは、The Driftを生み出したのが63歳、つまり今の自分と同じ年齢であることを知ったから。そして、ただアバンギャルドであるだけでなく、自分が信じる価値や世界観を深化し続けること、決して過去の自分を繰り返さない態度に共感を覚えるからだ。老いていくことはノスタルジアに浸ることと同意ではないだろう。
Scott Walkerが成し遂げた音楽は、10年後、20年後、あるいはもっと先で再評価されるだろう。