Sound & Silence

本多重夫の音楽、オーディオ、アートなどについてのプライベートブログ

アートパワー / ボリス・グロイス - なにが芸術を蝕んでいくのか?

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本書は美術手帖のサイトの推薦図書にあったので興味が湧いて読んでみた。読み始めて直ぐは著者のスタンスが非常に分かりにくかったが、著者が1947年東ドイツ生まれで81年に西ドイツに亡命したという、共産主義圏で育ったバックグランドがわかると俄然面白く読める。つまり、僕らのように西側で育った人間とは違う旧共産圏国出身者ならではのシニカルな視点に溢れている。それは「絶望して諦めることは決してしないが、何も信用もしない」「偽政者は現在を支配するだけでなく、未来から現在を変えようとしていると考える」こと。本書は彼が2000年から2010年までの時期に美術雑誌、展覧会カタログ等に執筆された原稿をまとたものになる。

タイトルの「アートパワー」とは芸術作品の力といったものではなく、「アートやその周辺の人々が、どんな力や影響力を行使するのか」という意味に僕は受け取った。

以下、興味深かったポイントのいくつか。僕の解釈も含まれている。

美術館は新しいことを可能にするためにある

  • アーティストが美術館をどれだけ否定してみたところで、アーティストは作品が美術館に所蔵されることでアーティストとして認められ、作品の価値が生まれる。作品が美術館に所蔵されることを否定するアーティストはほとんどいない。
  • 美術館の中に過去から現在までの作品が収められているから、アーティストはそこにはない「新しい」作品を生み出さなければならない。
  • 数百年以上に及ぶ時間の中の作品を所蔵する美術館は時間の蓄積を見せる場所である。
    • 作品を「美術館から解放する」という思想は意味がない
    • 鑑賞者は、単に作品を見ているのではなく、そうした時間をの蓄積を同時に体験することになる。
  • (私見)アーティストにとって美術館が「権威を与える」場所なら、アートギャラリーは「作品を売りさばく」場所。クリスチャン・ラッセンやヒロ・ヤマガタには前者がなかっただけではないか。

キュレーターとキュレーションが芸術を支配する

  • 本来なら作品に対しては黒子だったキュレーターの変容
  • アーティストよりもキュレーターが主人公になる
    • (私見)近年の展示作品の政治性が問題になったケースがあったが、その「事件」でも問題視された作品やそのアーティスが正面から取り上げられて議論が深まることはなく、ただキュレーターが注目の中心となっただけだった。
    • (私見)キューレーターがスターシステム化しており、ソーシャルメディアのトリックスターや正統的なアートのバックグラウンドを持たない者が持てはやされる。
  • アーティストや作品でなく、キュレーションによるアートドキュメンテーションがアートよりも重要視されてしまう。

オリジナルとコピー(複製)違いはなにか

  • オリジナルとコピー(複製)違いはなにか − オリジナルにはアウラ(オーラ)がある
  • 職人的な手作業による作品がアウラ(オーラ)を得る
  • イメージファイルは無限に再生産されるオリジナル
    • しかしイメージファイルの中身はコードでありアートでない
  • イメージファイルは視覚で認知されるだけである
  • それは「目に見えない神」を展示することに等しい

インスタレーションという不可能性

  • 長時間変化するインスタレーションは、観客が全てを見ることが不可能な芸術
    • (私見)おそらく作者本人も最後まで見ることはないだろう。つまりその「部分」しか誰も知らない。知ることになるのは設置された場所の空間だけか、それとも終わる前に展示期間が終了してしまうか。 *
    • (私見)電気仕掛けのノイズ音を発するデバイスを多数使ったインスタレーションは「サウンドアート」と称されるが、観客はその前をただ通り過ぎて行くだけ。
  • ビデオインタレーションも同じ。美術館にずっと留まって見ることは不可能なビデオ。
    • (私見)美術館は映画館ではないし、映画館を美術館にすることもできない。

ヒトラーとスターリンの芸術感

  • ヒトラーもスターリンも芸術に対する理解は深かったし、アートがどんなチカラを持っているのかについての見識も備えていた。
  • ヒトラーにとっての芸術は、優れた民俗的で身体的で英雄的なものであること。それは、ジェダイの内なるフォースと同じようなもの
  • スターリンにとっては社会主義の理想を讃える扇動するもの
  • 共に物質的で有形な永遠性を重視し。文明よりも長生きをするものであり、未来の人々が驚嘆するものを求めたいた
    • (私見)つまり未来から現在を見て、現在の在り方を変える「てこ」として芸術を捉えていた
    • (私見)スティーブ・ジョブス、ヘンリー・フォード、本田宗一郎、盛田昭夫といった卓越した経営者にも「未来から現在を見て、現在の在り方を変える」という同様の概念があった。

その他、ヨーロッパの価値感についての言及も興味深いものがあった。他の産業と同じようにアートを取り巻く環境もインターネットの時代になって大きく変わってしまった。こうした変化は今後もさらに加速していくのだろう。アートがアーティストの手に残るのか、それともキュレーターの存在に奪われていくのか、それとも全く異なる方向に向かうのか? 

ちなみに本書は図書館で借りたが、期限内に読み終わって返却しないといけないので、集中的に読むようになるのでいいかもしれない。

アート・パワー Art Power Boris Groys

アート・パワー Art Power Boris Groys


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