Sound & Silence

本多重夫の音楽、オーディオ、アートなどについてのプライベートブログ

Iannis Xenakis / Persephassa - 過去が未来であり、現在が永遠であること

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僕にとっての「現代音楽」は、ロックやフリージャズと並行してずっと身近なところにあって良く聴いてきた。一番の理由はNHK-FMであった上波渡氏の「現代の音楽」を聴いていたこと。

NHK-FM「現代の音楽」という番組

番組はバッハ=ウェーベルンの「6声のリチェルカーレ」で始まり、上波渡氏の独特の低い声で曲の紹介がされて音楽がかかる。音源はレコードだったり、ライブ録音だったり、海外の放送局から提供されたテープだったりと様々で、内容も電子音楽、ミクストメディア、器楽作品、オーケストラとバラエティに富み、20世紀の同時代の作曲家の作品ということだけが共通項。 

一番印象に残っているのは、1976年のベルリン メタムジーク フェスティバルの時の放送で、チベット仏教の声明、タンジェリンドリームなども放送したり、確か、テリー・ライリーの大作『シュリ・キャメル』を番組の放送時間全部を使って(それでも完全ではないが)流したりと意欲的なプログラム構成だった。こうした広義の「現代音学」の捉え方もこの番組が特に好きだった理由。

この番組を通じて知った作曲家は数えきれない。今のようにインターネットで簡単に実際の作品を聴ける時代ではないので、毎回、番組を録音して何度も繰り返し聴いたものだ。このクセナキスもそうして知った作曲家の一人。

先鋭の作曲家 クセナキス

Xenakis(クセナキス)は20世紀を代表する作曲家の一人であり、作品を見かければ必ず聴いていた。彼はギリシャが軍政だった頃、反体制運動に身を投じ、その衝突の中で顔の左側に重傷を負い失明するという悲劇に見舞われている。彼の多くのポートレートが横顔なのはそのためだ。後にフランスに拠点を移している。

クセナキスは作曲家であると同時に建築家でもあった。建築の知識と数学に強いことが、彼の作品の特徴にも現れる。非常にシステマチックで、音楽の構造の強度が高い。それは電子音楽、ピアノ、オーケストラなど、演奏対象が違っても共通している。初期のコンピュータを使って音群のパラーメータを演算させた作曲家の一人でもある。

ハードな知性に裏打ちされた音楽

クセナキスの音楽が、同時代の他の作曲家と大きく異なるのは、ハードな知性に裏打ちされた音楽であること。そこにはジョン・ケージのような人間的な偶然性はなく、武満徹のような抒情性も皆無。シュットック・ハウゼンに近いとも言えるが、クセナキスと比べたらシュットックハウゼンやヴァレーズの方がまだ人間的な温度がある音楽に思えるほど。冷徹な真理の先にある音楽というか、あらゆる叙情性や感情を拒否するようなところがあり、聴き手に彼の音楽をそのままの受け止めることを求めているように感じる。まるで大きな構造物の中に入り込むかのように。

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そうした彼の音楽の特性は、オーケストラやピアノといった「人が奏でる」楽器よりも、電子音楽や打楽器のための作品に顕著に現れているように思う。この「Persephassa(ペルセファッサ)」は、1969年にストラトブール・パーカッション・アンサンブルのために作曲されたもの。タイトルはゼウスの娘で地下世界の女王である『Persephone』に由来する。

このアルバムカバーが中の音楽を象徴している。荒れた大地を吹き抜ける突風のようであり、再生のための祝祭儀式の音楽のようでもある。聴き手は、打楽器の振動を感じて立ち竦むのみ。そうした音楽体験を受け入れられるかどうかは人によるかもしれない。ただ彼の音楽が提示しているメッセージは普遍的だ。このアルバムのライナーノーツにも作曲家の高橋悠治との対話の一部が記載されている。

我々は幼い頃からこのように世界を見るように強いられ、悲しいガラスの迷宮の箱の中で死んでいく。世界の奥底に横たわるものは透明な壁で隠されている。存在と時間の分裂を支える壁は、どのようにして破ることができるのだろう。過去が未来であり、現在が永遠であり、ここと20億光年の彼方が同じであるような方法を発見しなければならない。

このクセナキスの言葉から50年を経て、未だ僕らはその方法を見つけ出せてはいない。ただ、彼の音楽が今もスピーカーから鳴り響く。


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