芸能や芸術家と薬物の関係には長い歴史がある。フランスの作家、ジャン・コクトーはアヘン中毒だったし、ビート作家のウィリアム・バロウズは死ぬまでコカイン、ヘロイン中毒だった。バロウズは「適量のヘロインを取り続けると決して風邪をひかない」とまで言っている。SF作家のフィリップ・K・ディックは休まずに書き続けるためにアンフェタミンを常用していたし、同じ理由でホラー作家のスティーブン・キングも長く薬物に苦しんだ。マイルス・デイビスも若い頃から薬物依存があって、そのリハビリで彼はボクシングを始めている。
日本の文化ジャーナリズムには狂気信仰や自己破滅信仰があるようで、ことさら薬物や狂気が作品に強い影響を与えたかのように論じられることが少なくない。ヘビースモーカーや大酒飲みでは役不足らしい。僕はそうした論には同意しかねる。当たり前だが、凡人が薬物をやればジャン・コクトーのように小説が書けたり、マイルス・デイビスのようにトランペットが吹けるようになるわけではない。アーティストにとっての薬物はそのライフスタイルの一部にしか過ぎず、作品に与えている影響はないだろう。逆に言えば薬物があるから質の高い作品ができるのあれば、それはアーティストではない。ただのジャンキー。ピンク・フロイドのシド・バレット、フリーのポール・コゾフのように、薬物中毒というのはアーティストの創造性を根こそぎ奪い、人間性も破壊してしまう。薬物から何かが生まれることはない。ただ悲惨なだけ。
このアルバムのリーダーであるジュゼッピ・ローガンも薬物依存であり、総合失調症のような症状もあったようだが、それは彼の創り出す音楽とはあまり関係はなさそうだ。彼はサックス、ピアノ、バイオリンまで演奏するが、上手くないとよく言われる。率直にヘタクソと評されることもある。
1枚目はESPレーベルから1964年にリリースされた『Giuseppi Logan Quartet』というタイトルで、バックはドラムのミルフォード・グレーブスやピアノのドン・ピューレンが務めているが、一曲目からしゃっくりしながら歩いているような、すっとんきょうなリズムでサックスを吹き始める。強い吃りのような、独特の演奏。僕はこの奇妙なサックスの演奏に最初から惹かれた。その強い個性であっという間に聴き終えてしまう。
セカンドがこの『MORE GIUSEPPI LOGAN』で同じESPから1965年にリリースされた。メンバーは前作と同じでベースプレーヤーが二人に増える。ジャケットは細いペンで描かれた神経質そうなイラストのカバーデザインだが、ファーストとは変わって、ある意味ストレートで演奏はかなりダイナミック。B面ではピアノソロも聴くことができる。このピアノソロが意外と聴き物。ジュゼッピ・ローガンは、自分のやりたい音楽、自分が表現したい方法が明確にあって、それを表現できるセンスと能力を備えているのだと思う。器用なんだろうな。彼が吹くバスクラリネットも説得力がある。
それに、ミルフォード・グレーブスの演奏は圧巻。この人のあらゆる状況の変化に対応できるドラムプレイは独自の世界。それでいて、どんなにフリーな演奏であっても『リズム』を失わない。このドラムは彼以外では聴けない。彼の存在もこの2枚のアルバムに欠かせないものになっている。
ジュゼッピ・ローガンのこの2枚のアルバムは、フリージャズの中でも特別な位置にある。フリージャズが星雲だとしたら、その一番端の暗黒との境界線にあるようなもの。なので録音から半世紀以上を経ても、未だに特異なアルバムとして輝きを放っている。一度このアルバムを聴いた者には強く記憶に刻まれる。