Sound & Silence

本多重夫の音楽、オーディオ、アートなどについてのプライベートブログ

ECMレーベル - リバーブのつまみを握りしめた魔術師の世界

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オーディオ雑誌の『STEREO』の特集が「ECMとオーディオ」だったので久しぶりに購入してみた。ECMレーベルとしての最初のリリースが1969年。それから50年を経てもオーナーのマンフレート・アイヒャーはずっと君臨し、レーベルのサウンドトーンも一貫している。EMIのような大手のレーベルでも時代の流れに翻弄されているのに、ECMのようなマイナーレーベルが同じオーナーでサウンドトーンも変わらずに存続していることは稀なケースだがそれには理由がある。

ECM = マンフレート・アイヒャーの音世界

本誌にもマンフレート・アイヒャーの独裁ぶりへの証言があるが、彼の美的センスや価値観が全て。アーティストの選定だけでなく、ECMとしてリリースされるためにレコーディングされる楽曲、その演奏にまで介入する。またこれはあるアーティストから聞いた話だが、リリース日程が確約されていない。つまりアルバムのリリースはマンフレート・アイヒャーの仕事の進み次第(あるいは判断)ということらしい。

そして、マンフレート・アイヒャーの最大の武器がリバーブ(デジタルリバーブという説もある)。しかも、録音後のポストプロダクションの処理ではなく、レコーディングと同時に演奏に合わせてリバーブを自在に操作して、リバーブのトーンや深さをリアルタイムに加えていく。もはやこれは「リバーブ演奏家」と呼ぶべきでは。その彼のリバーブが、ECMのあの一貫したクールで緊張感を孕んだ音空間の源になっている。

リバーブの魔法 - スタイルを貫く

レーベルが生き残るにはヒット作が必要で、英国バージンレーベルならマイク・オールドフィールドの『Tubular Bells』の大ヒットが初期に会社の経済的基盤を支えたように、ECMレーベルではチック・コリアの『Return to Forever』、キース・ジャレットの『The Koln Concert』のヒットでビジネスの基盤を固めたのだろう。

両方とも米国のジャズレーベルからは発売されない内容のアルバム。前者では、フェンダーローズやフローラ・プリムのスキャットに加えられたリバーブの独特の浮遊感のある空間性が70年代の「新しい」ジャズフュージョンのスタイルを決定づけたし、後者では、キースの体調不良、調律が不完全なピアノ、深夜の演奏会という悪条件の中で、もちろんキースの演奏は素晴らしいが、アイヒャーのリバーブの魔法がこの世の物とは思えない甘美なピアノの音を作り出した。

もしこの2枚のアルバムでECMの音楽を聴き始めたなら、その後どのECMのアルバムを聴いてもハズレはないだろう。アルバムカバーやパッケージを含め、アイヒャーの美学とスタイルが貫かれているから。歴史のあるファッションブランドであっても、数年単位でメインデザイナーが変われば製品も変わっていくが、ECMレーベルにはそれがない。ジャズ(まあジャズ系ミュージシャンが多かっただけでその音楽がジャズかというと別の話)からミニマリズム、現代音楽、クラシックまでジャンルは広がってもサウンドトーンは一貫している。

ECMレーベルを見かければ買っていた

僕が最初に手にしたECMのレコードは、アート・ランディとヤン・ガルバレクの『Red Lanta』とテリエ・リピダルの『Whenever Seem To Be Far Away』の2枚。1975年に購入している。

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『Red Lanta』はアート・ランディのピアノとヤン・ガルバレクのサックス、フルートによる二重奏のみのジャズというより室内楽的な作品。確かにリズミックではあるが、非常にストイックな音楽。

テリエ・リピダルの『Whenever Seem To Be Far Away』は、A面は1曲目からファズベースが唸り、メロトロンが鳴り響くダークなサウンドにリピダルのギターが稲妻のような光を放つ、北欧プログレジャズロック。B面は室内オーケストラを加えたシェールベルクやベルクの作品を彷彿とするようなエレクトリックギターの作品。

つまり、ECMレーベルはNew ECMシリーズなどを始める遥か前から、非ジャズ、非メジャー、脱ジャンルだった。アイヒャーの審美眼だけが全ての価値を決めている。ただ、そのリバーブ処理を含め、その独善的な美的価値観がアーティストと衝突することも少なくない。その一方、ECMの美意識を共有できるアーティストにとってはサンクチュアリなのだろう。STEREO誌の特集のインタビューに答えて言える日本人ピアニストの2人も、日本や米国のジャズ演奏の中で求められるものに違和感が強く、それでヨーロッパに活動を移しECMからのリリースにつながっている

魔法はいつまで続くのか、魔術師とともに消えるのか

僕もアイヒャーの脱ジャンル的な美的価値観に共感し感化されたので、ECMのレコードやCDはよく買った。中古で見かければ必ず買っていたし、好きなアルバムは独オリジナル盤まで手に入れていた。今でもレコード、CD、合わせて200枚ほどはあるだろう。

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ただ正直に言うと、今はまったくECMの新譜を買っていない。ECMレーベルがストリーミングサービスで聴けるようになったこともあるが、それでもどんな新譜かチェックする程度で何度も聴くことはない。リバーブの魔法にかかったのが若い時だったので、その魔法が解けてしまったのだろうか? どの新譜を聴いても以前聴いたものの繰り返しのように感じてしまう自分がいる。今でも現代音楽のリリースもあるが、全体としては内容がずいぶん保守的になったようだ。だから最近また人気が高いのか。ある意味、ECMは「権威」になったんだろう。

ECMはマンフレート・アイヒャーの趣向性がそのままレーベルのカラーになっているので、彼が存在しなければ継続は困難かも。リバーブの魔術師が消えたら魔法と共に失われてしまう。それまでのカタログは残ったとしても。


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