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本多重夫の音楽、オーディオ、アートなどについてのプライベートブログ

時のかたち - 事物の歴史をめぐって / ジョージ・クブラー著 - アート、デザインへの新たな視点

2000年以降のAppleの大成功もあって、今日ほどビジネスから日常まで「デザイン」や「アート」の重要性について語られることは、この数十年なかった現象。誰もが日常的に操作するスマートフォンはもちろん、スプーン1本までそのデザインが重要視される。店舗デザインも同じで、Apple Storeやスターバックスの成功事例をコピーしたような内装はいたるところで見られる。

それはデザイナーやアーティストが創り出しているわけだが、そうした「事物」は、いったいどこから来て、どこへ向かうのか、その示唆を与えてくれるのが本書「時のかたち - 事物の歴史をめぐって / ジョージ・クブラー著」

それは石器からはじまる

この本の原作は1962年に出版されたもので、著者のジョージ・クプラー氏は美学者で考古学者。人が作り出す事物を全て芸術として捉え、それを歴史学者のように時系列にでもなく、ゴシック、ルネッサンスといった属性でもなく、その創作された事物の相互作用と連続性から新たな視点へと読者を導いていく。

この本では、まず石器が例に挙げられる、古代の石器から今のものまで、石器のシリーズは続いているように見えるが、その時間の流れの中で無数の枝分かれをしたり、作り手が途絶えてしまったり、文明が崩壊してしまって無くなってしまっても、完全に消えることことはなく、それは複製、模倣されて少し後戻りしたところから引き継がれていく。つまり時間の流れを巻き戻したり、先送りしたりして事物の表現は続いていく。

王室、パトロンから、成熟した市民社会へ

また芸術家という、その一生を社会に直接役立つものを生み出さない職業についても語られる。またはその才能と天才についても。才能ある芸術家は師匠の複製や模倣を手際よくこなし、そこに自分で独自性を加えることで独立して王や領主や教会、あるいは成功したビジネスマンといったパトロンを得て世にでる。天才とはその時代のエポックなポイントに偶然に居合わせることで歴史や美術の教科書に名前を残すことになるのだと。

革新的なテクノロジーが変革をもたらすこともある。ビジネスの世界でも「Disrupt Innovation(破壊的革新)」が熱望されたりするが、注意深く見ればその「破壊的革新」が、それ以前から存在するものを巧みに組み合わせたものであることは多い。

後半では、芸術が生き延びるための成熟した市民社会の存在の重要性が指摘される。僕等が今見ている海外から作品を借用して美術館で繰り広げられるアートエンターテイメントは、まさしく「成熟した市民社会」抜きでは存在できない。 また芸術家がパトロンの注文によるではなく、自発的な表現の作品の制作を可能としているのも、成熟した市民社会の文化があるからに他ならない。

新しさの有限性

本書は1962年の出版なので当然20世紀後半からの各種アプライアンスのデザインやスマートフォンなどのデバイス、WEBサイトやアプリなどについては触れられていないが、この本を読めば共通項が多いことにすぐに気がつく。それは石器と同じように、あらゆるパターンが複製、模倣され、更に再引用され、石器とは違い十数年というごく短期間の間に消費され尽くされてしまっている。

それはまた「発明の有限性」として指摘される。

根本的な革新は、百年前から私達が期待してきたような頻度では、もはや続けて現れないかもしれない。というのは、人間社会における形と意味の可能性の全てが完成された全体像が、すでに過去のどこかでおおむね描き出されているだろうだからである。

僕等が現在行ってることは、必要に応じで過去の事物の一部を再利用しているだけかもしれない。だから僕等が今いるのは無限の可能性がある場所ではなく、限界のある場所に住んでいることを自覚すべきなんだろう。

虹は遠く離れているから見えるのであって、虹の根元に行ってもそこには虹はない。

参考情報

書名:時のかたち──事物の歴史をめぐって 著者:ジョージ・クブラー 訳者:中谷礼仁、田中伸幸 翻訳協力:加藤哲弘出版社:鹿島出版会 出版年月:2018年8月


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