Sound & Silence

本多重夫の音楽、オーディオ、アートなどについてのプライベートブログ

INSIDE OUT / Nick Mason 著 - この本を読みながらピンク・フロイドをキャズム理論で考察

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ピンク・フロイドのメンバーでドラマーのニック・メイソンが執筆した、A4サイズで300ページ以上に及ぶバンドと彼自身の自伝の本。この本が2004年に出版されたときに、どうせなら写真もきれいな豪華本でと思い購入したのだが、この重量の本になると寝る前にベッドで読むこともできず、そのままになっていた。

このCOVID-19の騒動の中、打ち合わせもほとんどなくなってしまったので、大きな本を読むには丁度よいかと引っ張り出してきた。読み始めてみると、これが結構面白い。

タイムラインとしては、子供時代に始まり建築設計の学校でロジャー・ウォーターズと知り合ってグループを結成し、カレッジやローカルクラブで演奏を始め、メンバーチェンジで紹介されたシド・バレットが加入してアンダーグラウンドバンドとしての位置を確立した辺りから、1989年の再結成ツアーの頃までが書かれている。ニック・メイソンが書いたこの本の内容が原因でデイブ・ギルモアと疎遠になったと言われているが、まだその原因がわかるほどは読み進んでいない。

アーティストの伝記を読む面白さ

音楽に限らず、アーティストの伝記を読むのは面白い。自伝であっても、ジャーナリストが取材をまとめたものであっても、丁寧に作られた伝記なら一読の価値はあるように思う。 もちろん、そのアーティストやその作品が好きで感心があるのはもちろんだが、(その記述の全てが真実であるかはともかく)作品が生み出された背景が知れることは、その作品への理解が深まる。 あと、その当時のファッションやクルマ、楽器、ライブハウスの風景、いろんなものの価格など、その時代の生活感が伝わってくる記述にも興味を惹かれる。音楽やアートが「その時代」から生まれてくるものであることを実感できる。もちろん当時の写真などの映像も貴重な資料になる。

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バンドの成功とキャズム理論

基本的にロックバンドというのは、革新的でアーティスティックあると同時にビジネス的な成功を求めるものである。その商業主義とアートとの間の微妙なバランスがポイントなる。しかも、デビュー当時はライブハウスやダンスホールで日本円で数千円のギャラで演奏していたグループが、数年後には専用ジェットを乗り回して世界中をツアーしてスタジアムで億単位を稼ぐようになるのだから、その成長のスピードは凄まじいものがある。

なので、ロックバンドのビジネス(特に60年代から80年代始めにかけて)というのは、革新的で新しいテクノロジープロダクトを市場に投入していくビジネスプロセスに非常に似ているように思う。 例えばiPhoneやTeslaの電気自動車がいかにマーケットを切り拓いていったを説明するときに用いられる「キャズム理論」というものがある。キャズム(Chasm)とは、谷とかクレパスのような割れ目のことを指していて、あるものが商業的に大きな成功を収めるためにその分岐点となるキャズムを超えることができなければならない。

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キャズム理論では、製品やサービスがどういった層に受け入れられていくのか、その発展段階を次のように分けている。

  1. イノベーター(Innovators:革新者、革新的採用者)
  2. アーリーアダプター(Early Adopters:初期採用者、初期少数採用者)
  3. キャズムここに超えなければならないキャズム(谷)がある。
  4. アーリーマジョリティ(Early Majority:前期追随者、初期多数採用者)
  5. レイトマジョリティ(Late Majority:後期追随者、後期多数採用者)
  6. ラガード(Laggards:採用遅滞者、伝統主義者)

これをピンク・フロイドに当てはめてみると。

(1)イノベーター:シド・バレットがメンバーに加わり、サイケデリックなライトショーなどをバックにUFOクラブなどのロンドンアンダーグラウンドシーンで、先進的で高感度のリスナーから支持を得る

(2)アーリーアダプター:過剰なドラッグが原因でシド・バレットが抜け、デイブ・ギルモアを含む4人体制となり、プログレッシブロックバンドとの活動が本格化し、『Atom Heart Mother(邦題:原子心母)』のリリースにより、プログレバンドとしての位置を固める。海外でも好評でフェスや 3,000人規模のホールでコンスタントに活動できるようになる。

ロックグループの場合、このレベルで現在までずっと活動しているグループも多い。コアなファン層がそのまま続けば、2,000-3,000人規模のホールでライブをして、ミート&グリートのプレミアムチケットなでも十分ビジネスとしては成り立つ。大半のプログレッシブロックバンドやジャズミュージシャンなどはこの位置をキープしているように思う。

(3)キャズム:当時のロックバンドにおけるビジネス的な成功は、やはり巨大な米国市場で売れること。アルバムがキャッシュボックスやビルボードのトップ3に入って、ロスのハリウッドボウルやニューヨークのマジソンスクスクエア・ガーデン、フロリダのスタジアムといったベニューをソールドアウトすること。その起爆剤となりキャズムを超えるアルバムが必要になる。

ピンク・フロイドの場合、それはアルバム『狂気(The Dark Side of The Monn)』の大成功によって達成された。人の笑い声、目覚まし時計の音、レジスター音、ソウルフルなスキャットなど、日常的でわかりやすい素材を散りばめたコンセプトアルバムが、米国の広範囲のオーディエンスに受け入れられた。

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(4)アーリーマジョリティ:フロイドの成功の陰には当時米国でFM放送局が増えたこがある。それまでの3分のシングル盤が中心のAM局は違い、アルバム単位で放送されるFM放送局のリスナーがまず、このアルバムに注目して買い始める。

(5)レイトマジョリティ: その流れは、その他の多くの音楽ファンに広まり、『狂気(The Dark Side of The Monn)』は長期間にわたりチャートに君臨するベストセラーアルバムとなる。ピンク・フロイドは、全米的な人気を獲得したスーパー・ロックバンドとなり、巨額の利益を生み出すビジネスとなる。

その後も、勢いは衰えず。『あなたがここにいていほしい(Wish You Were Here)』、『Animals』、 そして『Wall』と米国チャートを席巻すヒットアルバムをコンスタントにリリースする。

他のロックグループの事例では

「Big in Japan(自国では無名だが日本では有名)」という言葉があるが、昔の日本の洋楽マーケットが「アーリーアダプター」の役割を果たす現象がよくあった。例えばクイーンはデビュー当初は日本でのみ絶大な人気があった(少女マンガアルドル的なもの)。クイーンがキャズムを超えて全米的な人気を獲得するには『ボヘミアン・ラブソディ』を含む『オペラ座の夜(A Night at The Opera)』の成功が必要だった。 ただ、そのクリーンのフレディ・マーキュリーは、日本のアーリーアダプターが好んだ少女マンガアイドル的なものではなく、タイツ姿でマッチョな動きをする別のテイストのものに変わってしまったが。

70年代後半には、同じ英国のバンド、デビッド・シルビアン率いるジャパンが日本でのみ人気を得るが、キャズムを超えることはできず、坂本龍一が関わるなどして、アートなロックバンドとなりコアなファン層を得るが結局解散してしてしまう。

アイルランド出身のU2は、ポストバンクの時代にデビューして、その粗削りなサウンドとアティチュードでコアなファン層から支持を受ける。そしてアイランドレコードが巨額の宣伝費用を投入した『ヨシュア・ツリー(The Joshua Tree)』が全米No.1アルバムとなることでキャズムを超えていく。その後のU2の成功はご存知の通り。

成功するロックグループの傾向

ビジネス的な意味合いで成功する(成功し続ける) グループには共通の特徴があるように思う。

メンバーチェンジをしないこと
メンバーチェンジをしない、あるいは少なくともベストセラーアルバムをリリースしてからはメンバーチェンジをしないこと。それぞれのメンバーのファンがそのまま継続するし、バンドとしてのサウンドの変化も少ない。ピンクフロイド、U2、クイーンなどは成功してからメンバーを変えていない。ローリングストーンズもキーメンバーは不動。ロン・ウッドは後から入っているが、ストーンズのバンド色そのままのキャラクターだったのは有利。

音楽性を変えないこと
アーティスト側としては、いろんな音楽的な冒険もしたいだろうが、ファンは非常に保守的。ライブでは知っている曲をいつまでも聴きたがる。最近流行の「アルバム完全再現ライブ」がいかに人気かを考えても分かる。ストーンズはいったい何万回、『サティスファクション』を演奏したのだろう?

ツアーをすること、アルバムを出し続けること
コンスタントにツアーを行うことと、新しいアルバムをリリースことでファンコミュニティを活性化することが重要。実は新しいアルバムが売れるかどうかは重要でなく(ストリーミングの時代にアルバムからの収益は期待できない)、ツアーでのチケット収入がメインの収益元になる。

まあ、これらの要素は通常のビジネスでも同じことかもしれない。CEOや役員がコロコロと変わる企業はよくないし、ビジネスには一貫性が求められ、コンスタントに製品のバージョンアップや新製品をリリースする必要がある。

ピンク・フロイドという巨大なビジネスマシンの終焉

話は戻って、『狂気(The Dark Side of The Monn)』でキャズムを超えて、名実共にビッグな存在となったフロイドは、巨大なスタジアムの大観衆の前で大仕掛けなライブパフォーマンスを行うようなになるが、ファンとの軋轢、メンバー間の軋轢で軋み始める。

『狂気』の最終プロダクションを主導したロジャー・ウォーターズのメランコリックなパラノイアは独裁的な性格を帯びて、ロックオペラ的な大作『ウォール(Wall)』を生み出すが、彼以外のメンバーは、ピンク・フロイドとしての活動に興味をなくしており、『壁』のステージセットで数回のライブの後で、空中分解する。ピンク・フロイド名義での最後のアルバムとなった『ファイナルカット(Final Cut)』の録音に残りのメンバーは限定的に関わるのみで、実質的にはロジャー・ウォーターズのソロアルバムとなる。

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1987年になって、ロジャー・ウォーターズ抜きの3人でピンク・フロイドは再始動して『鬱(A Momentary Lapse of Reason)』をリリース。70年代フロイドの幻想的なサウンドを現代風にリバイズしたプログレッシブなAOR路線となり、ライブでは「狂気」などの往年の人気曲もふんだんに盛り込んで、興行成績的には大成功を収める。しかし、2008年に創設メンバーでキーボード担当のリチャード・ライトが亡くなり。『ピンク・フロイド』は名実とももに終焉を迎える。

さて、随分長く書いてしまったので、本に戻ることにしよう。


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