Sound & Silence

音楽、オーディオ、アートなどについてのプライベートブログ

不時着する流星たち / 小川洋子 - エリック・サティを聴きながら、ゆっくりと悲しさをこめて

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以前感想を書いた『密やかな結晶』の小川洋子の短編集『不時着する流星たち 』。この本は、実在する社会では少し変わった存在だった人物にインスパイアされて、それぞれの物語が紡がれていく。

例えば、一人で「ヴィヴィアン・ガールズ」が活躍する巨大な長編の少女絵物語「非現実の王国で」を描いたヘンリー・ダーガー、散歩という行為に執着し、全てをその視点から書いたローベルト・ヴァイザー、コンサートを拒否し父親が椅子の足を切り落とした30センチの椅子に座ってピアノを弾き続けたグレン・グールド、街に手紙をばらまくという調査方法を実践したスタンレー・ミルグラム、膨大な写真を撮影しながら公開することなく、近年、偶然発見されてその写真が高い評価を受けたヴィヴィアン・マイヤー、奔放な人生を送り、マイケル・ジャクソンの友人でもあったハリウッド女優のエリザベス・テイラーといった人たち。ただ、そうした人たちが直接引用されることはなく、そうした人たちの物語や行為が本書の中で小川洋子の手によって別の物語につながっていく、ちょっと変わった短編集。

読み始めてすぐ感じたのが、浮かび上がってくる風景がアンナ・カヴァンや金井美恵子の描くものに近いこと。ミステリアスであり、グロテクスなところもあり、それでいて温度がなく、生臭くはなく、目を背けることができず人きを惹きつけてやまないこと。

そんな物語を読みながら、この短編集にサウンドトラックをつけるとしたらどんな音楽が合うのかとふと思った。物語の一つに取り上げられたグレン・グールドなんだろうか? 「ゴールドベルグ変奏曲」はいいが少し音楽が強すぎる。物語に寄り添っていつつ、それでいて過剰に干渉したりせず、よい距離感を持っているもの。この本に登場しそうな風変わりな作曲家は誰だろうと思いを巡らすと、エリック・サティが浮かんでくる。

エリック・サティ(Eric Satie 1866 –1925)というと甘ったるくムード音楽化されたジムノペディばかりで有名になったことに、天国のサティも苦笑して面白がっていることだろう。

サティは英国生まれで、4歳の時に父親の仕事の関係でパリに移り、6歳で母親を亡くす。10歳の時に父が再婚した新しい母親がピアノ教師だったことで、14歳でパリ音楽院に入学するが、彼の個性はそこに馴染めず数年で辞めてしまう。ギリシャ文化やゴッシク主義、中世神秘主義に傾倒した独自の作曲を進める。そして1888年、サティが22歳のときに古代ギリシャの祭典、ジムノペディアからインスパイアされた生み出されたのが「3つのジムノペディ」となる。当時としては非常に先駆的な作品で、のちに友人のドビュッシーによって管弦楽向けに編曲されている。サティよりも10歳年下なるモーリス・ラベルがサティの音楽の先進性を高く評価したことはよく知られている。

詩人・作家のジャン・コクトーといっしょに音楽劇「パラード」で騒動を起こす音楽アカデミズムのアウトサイダーぶりと(とはいっても40歳のときに再度、音楽院で学んだりしているが)、生活のためにキャバレーのピアニストのとしての活動が、彼の生み出す音楽に伝統からの逸脱しながら大衆性を併せ持ったユニークな場所を与えている。また一説には彼はほとんどピアノを弾かずに作曲していたとも言われている。イーノのアンビエント思想の先駆けともいえるサティの『人はイスに座って読書しているときにイスのことは考えていない』という「家具の音楽」という思想は、初期のジョン・ケージに大きな影響を及ぼしている。そんなサティは大酒飲みだったので肝臓を壊して59歳で亡くなってしまう。

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サティの音楽を誰の演奏で聴くか? 高橋悠治や高橋アキももちろん素晴らしいが、僕はもうずっと1971年に録音された、このジャン=ジョエル・バルビエの演奏による全集のLPで聴いている。この詩人でもあるピアニストは、神秘主義、印象主義の音楽を中心レパートリーとしていて、余計な身振りや色付けをせず、サティの音楽の美徳を伝えてくれる稀有な存在。このLP5枚組は年代順に収められているが、どこから聴いてもかまわない。どの面をどんな順でかけてもサティの音楽の様々な側面を見せてくれ、飽きることがない。

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そう言えば、サティは譜面にたくさんの言葉を書き込むことでも有名だった。ジムノペディには「ゆっくりと苦しみを持って」「ゆっくりと悲しさをこめて」「ゆっくりと威厳を持って」とある。初期の作品には「ゆっくりと」という指示が多い。そう、ゆっくりと。今の僕らに一番困難なことは、ゆっくりと過ごしたり考えたりすることかもしれない。

もし、この本の作者だったら、ゆっくりとしかできない男が、はやいことを善とする周りの世界から取り残されるが、多くの戦争の後で、廃墟の中に木が育ち実を結びのを見届ける最後の人となるような物語を書くかもしれない。

不時着する流星たち (角川文庫)

不時着する流星たち (角川文庫)

  • 作者:小川 洋子
  • 発売日: 2019/06/14
  • メディア: ペーパーバック

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