Sound & Silence

本多重夫の音楽、オーディオ、アートなどについてのプライベートブログ

闇の中の男 / ポール・オースター - 希望の中で生きることができるなら

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今年、2021年はニューヨークでの『9.11』のテロから20年の節目。日本時間では夜の11時過ぎの出来事で多くの人がテレビでリアルタイムで2機目の衝突を目撃している。僕はその前からテレビを持つのを止めてしまっていたし、インターネットも見ていなかったので翌日の朝になってラジオのニュースで知ることになった。西側で起こった史上最大のテロ事件で、その前と後では世界は大きく変わっていく。

この「Man In The Dark(闇の中の男)」は『9.11』を受けてポール・オースターが書いた本で原書は2008年の発売(日本語翻訳は2014年の出版)。彼は初期のニューヨーク3部作が有名で僕が最初に読んだのもその一つの『鍵がかかった部屋』だった。人の持つ暗い側面、人生の不条理の物語を淡々と描いていく。アメリカのカフカ、と評されたりするが物語の主人公を突き放すのではなく、それが悲劇的な結末であっても共感を覚えているように感じる。人生に対する洞察が作品を魅力的なものにしている。

アル・ゴア大統領だったら『9.11』はなかったのか? 米国の分断は2001年からのブッシュ政権で既に姿をあらわしていた

この本の背景には2000年のアメリカ大統領選挙がある。それは2020年のトランプ対バイデンとは逆の構図の接戦で、クリントン政権で副大統領を務めた民主党のアル・ゴアに最初の湾岸戦争を主導した(父)ジョージ・ブッシュの息子の共和党のジョージ・ブッシュが挑むという構図だった。結果はブッシュが一般投票で敗北しながらも選挙人投票で僅差で勝利するというもので、フロリダ州での再集計が中止されるなど、後味の悪いものになった。

そして、2001年の『9.11』 が起こる。アル・ゴアが大統領になっていたら、この悲惨なテロはなかったのではないか? という考えは少なかず米国人の中にはあるだろう。

イラクとの戦争にあるアメリカと内戦となったアメリカのパラレルワールド

この「闇の中の男」に登場するのは、妻を亡くした元文筆家、評論家だった老人と中年になったその娘、そして大学生となる孫娘の三人。娘の夫は浮気でいなくなり、孫娘のボーイフレンドはイラクで輸送トラックの運転手に志願してテロ集団に誘拐されて殺害される。つまり孤独な三人が同じ屋根の下で暮らしている話。

そして、老人は不眠症で眠れない夜に『9.11』がなかった米国の物語を紡ぎだす。そこでは東海岸と西海岸の州が独立を宣言し、ブッシュ大統領が率いる連邦政府軍と内戦に突入した分断されたアメリカがある。そして突然、その戦場へ放りだされた男の物語。

その2つの物語が、まるでP.K.ディックの小説『ユービック』のように重なって進んでいく。テロが存在し、その影響を受けた孤独な家族がいる世界とテロはなかったが内戦を戦っている世界の話。実在の老人と家族の話が家の中で、それも夜の話として静かに進むのに対して、眠れない老人が夢想する内戦のアメリカの話はリアルで暴力的で、ある意味生々しく非常に対象的。しかもその内戦の世界では、その世界を終わらせるために夢に見ている老人を殺害する指令が発令されている。夢が現実化しているというのはル・グイン的ですらある。

傷ついた人、傷つけた人、残された人

人は生きている間に、傷つたり、傷つけられたり、裏切ったり、裏切られたする。それが事故やテロのような不可抗力で起きることがあれば、心変わりのようにその関係の中で起きることもある。それも人生の一面であり、誰にでも起こり得る。

この老人の一家もそうで、老人はかつて妻を裏切り、娘は夫に裏切られ、孫娘はボーイフレンドをイラクでテロリストに殺されれる。でも、老人は後に困難の末に妻とよりを戻し、娘はそれを乗り越え、孫娘は乗り越えようと時間をかけて奮闘している。

孫娘と老人は二人で映画を見る。小津安二郎の『東京物語』。映画の舞台は戦争からかなり復興した東京。そこに田舎に住む老夫婦が子供たちを訪ねてくる。仕事が忙しい実の子供たちには疎まれるが、戦争で亡くなった息子の若い未亡人だけが精一杯の歓待をしてくれる。しかし、老夫婦の妻が帰途、突然な亡くなる。葬儀の後で一人残された老いた父親。そして息子の未亡人との会話。老人は妻が使っていた懐中時計を渡す。時間が引き継がれる。そして作家は書く。

あまりに長いあいだ、この女は何も言わずに苦しんできた。自分がいい人間だということをこの女は決して信じようとしない。なぜならいい人間だけが自分の善良さを疑うからだ。悪い人間は自分の善良さを知っているが、いい人間は何も知らない。彼らは一生涯、他人を許すことに明け暮れるが、自分を許すことだけはできない。

LOW / I could live in hope - 希望の中で生きることができるなら

この本を読んでいるときに、LOWの1994年にリリースされたデビューアルバム、『 I could live in hope』を聴いていると、何か雰囲気がシンクロしていく。その静かで、それでいて憂いを内に秘めたような歌と演奏が、この本の内容によく合っている。もし、この本が映画なるなら、サウンドトラックはこのアルバムしてほしい。

特に最後の「You are my sunshine」のフレーズで有名な『Sunshine』のゆったりとしていて、それでいてメランコリックなカバーのメロディが、この小説の最後の老人と家族が夜明け前の時間に交わす会話に重なってくる。

君は僕の太陽
たった一つのサンシャイン
灰色の空の下でも僕を幸せにしてくれる
どんなに君を愛しているか、君は知らないだろうけど
どうか、僕の太陽を奪わないで ……

LOW / I could live in hopeは、もうCDでも入手が困難なようで、Apple Musicにも入っていないので YouTubeのリンクを掲載しておく。


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