Sound & Silence

本多重夫の音楽、オーディオ、アートなどについてのプライベートブログ

ヴァイナルの時代/ マックス・プレジンスキー - レコードが非日常のものになってしまった時代のレコード考

「21世紀のレコード収集術とその哲学 」という大仰なサブタイトルもついているこの本の著者、マックス・プレジンスキーは、自らディーラーであり、ebayやdiscogs といったオンラインでも手広くレコード販売ビジネスを広げ、Carolina Soul Recordsを運営して日々1000枚以上のレコードをトレードしているらしい。そんな著者による包括的なレコード論で、現在の視点からレコードにまつわる様々な側面に触れている。

読者である1959年生まれの僕の10代〜20代は、「音楽を聴くこと=レコードを買うこと」なので、レコードは日常的なものであり、お金がないときはFM放送をカセットテープに録音して聴く(エアチェックと言った)か、数少ない同好の友達とレコードをカセットテープに録音して交換するのが全てだった。地方に住んでいたのでライブのチャンスは全くなく、音楽雑誌の記事を読んで想像を膨らませるしかなった。

なので、今のようにレコードを「Holy Grail(聖杯)」 のように崇め、レコードを聴くことを「特別な体験」のように語るメディアの風潮には、正直かなり違和感を覚える。一種のジェネーションギャップなんだろう。

そんな僕でもこの本は「レコードを取り巻く現在を知る」意味では楽しめたし、すごく参考になった。本書は次の構成になっている。

1:レコードゲームの遊び方
現在のレコード市場、ビジネスの概要、レコードの価値・価格

2:収集メソッドをはぐくむ
レコードを集めるとはどういうことなのか、どんなタイプがあるのか、といった話

3:コレクター向けジャンルおよびサブジャンル解説
ソウル、ファンク、ヒップホップからブラックメタル、プログレッシブロック、ジャズ、スピリチュアルジャズまであらゆるジャンルを網羅した音楽解説

4:レコード収集の政治学
レコードおける人種、ジェンダー、政治的な側面

5:レコードを経験しよう
レコードを聴くことで、自分自身が変容されるのを体感する話。リアルな現実から逃れることについて。

見方によってはレコードが新しい宗教になったような感がないでもないが、それはもとからある音楽にまつわるマジックのようなもので、あの30センチのジャケットに納まった黒いビニールの円盤が、それを際立たせているのだろう。

僕もそうだが、人は最初からコレクターになるのではない(今ではコレクターを最初から目指す人もいるかもしれないが)。聴き深めていくことで、ターゲットが絞られ、あるいは範囲が広がって、色々と集めて聴くようになっていく。つまり、集めることが目的でなく、結果として集まってしまうのがコレクターだと思う。

本書のジャンル解説はある意味新鮮だった。一応ジャンル別になっているが、内容によっては横断的で、ジャーマンロックやブラックメタルのような狭いが重要なサブジャンルもちゃんと網羅している。独善的なとこもあるが、今ではこんな風に捉えているのだと感心する部分もある。

レコードの政治的側面として、レコードを収集するのは白人や裕福な男性ばかりであることを人種やジェンダーの問題としてとらえるのは流行りかもしれないが、その根っこには長年にわたる音楽ビジネスの構造が影響している。音楽ビジネスの在り方が変わらないと、この問題は解消しないだろう。ただ、DJをはじめとするクラブシーンやエレクトロニックミュージック、アバンギャルといったジャンルでの女性アーティストの躍進が続いているのは現状打破の推進力になるかもしれない。

あと、著者は過去のアルバムカバーの写真や楽曲について不適切であるとか、男尊女卑、白人至上主義的であると批判し、許されざる歴史にように主張するが、それはどうなんだろう? レコードというのは大量生産される大衆商品であったわけで、当時のその地域の社会背景をや社会のあり方を反映している一種のドキュメント的なものにしか過ぎない存在ではないか。

Scorpionsの『Virgin Killer』のアルバムカバーを悪きチャイルドポルノと批判しても、当時の西ドイツでは(そして日本でも)過激とは思われても問題視することはなく、そのままリリースされている。それが当時の欧州の価値観だったのだろう。これが問題なら、なぜ著者はAlice Cooperの『School's Out』の紙パンティは問題視しないのだろうか? 直接的なビジュアルではないからかな? この論が行き着く先は「美術館から裸の女性の作品をなくせ!」という不毛なイデオロギー論になってしまわないか。

白人至上主義についても、やはり当時のミュージックビジネスが白人向けであったことは揺るがない。50年代の黒人ジャズメンのレコードを買っていたのは白人だし、The BeatlesやLed Zeppelin、Pink Floydだって、白人中産階級向けで、遅れてその仲間入りを果たした日本でも巨大なビジネスと化している。

なので、レコード(特に歴史)を考えることは、それが許されていた当時の社会を理解することであって、今の価値観で過去を糾弾することではないだろう。それは歴史の改変につながりはしないか、ということを懸念する。

最後の「レコードを経験しよう」という章は、読み物としては面白い。SuicideのAlanVegaとScott Walkerを「いける屍の発するバリトン」と評するのこのパートは間章ばりの論説が展開されいく。

全体としては、レコードと1950年代以降のLPレコードの歴史とその音楽についてまとめ上げたは本書は僕みたいな世代でも若い世代でも楽しめると良書と言えそう。

ジャケットからレコードを取り出して、ターンテーブルにのせてカートリッジの針先を盤面に落とす時、通常の日常とはちょっと違った時間を過ごしたいと思っていることは確かだろう。仕事のBGMでレコードをかける時は、仕事のプレッシャーを減らすための弛緩剤のような効果を期待してはいないか。音楽があれば仕事が進むという中毒症状。

まあ、なにやかにや、毎日レコードをターンテーブルにのせる自分がいる。


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