Sigur Rósの新しいアルバムがリリースされて最近ストリーミングでよく聴いている。「聴いている」というよりも「浸っている」と言った方がいいかもしれない。Sigur Rósも結成から30年、完全な新作アルバムとしては10年ぶりとも言える本作 『Átta(8枚目のアルバムの「8」の意)』は、全体がゆったりしたリズムがほとんどない清流の流れのようなサウンドで、スピーカーから出た音が部屋の空気の中に浸透していく。
ただ、そうした音楽とアルバムのコンセプトは対極で、アルバルカバーは、燃え落ちる虹という鮮烈なメッセージを放っている。それに、ビデオクリップの「Blóðberg(血塗られた岩)」の映像は、荒涼とした大地の上に、一人、また一人と倒れた人の姿が、最後には折り重なった大勢の姿となり、その先には断崖絶壁しかない。そんな映像の背景で彼らの音楽は淡々と静かに流れていく。
Sigur Rósの音楽を聴く(あるいは浸る)ということは、単に音楽を聴くという行為よりも、一種の宗教で神秘的な体験(スピリチュアルという言葉でもいいかもしれないが)ではないだろうか。それはあの逆光を多用するライブステージにも通じている。
そこに「救済」があるかどうかは、正直、僕にはわからない。ただ、何かを考えさせるためのきっかけになっていることは確かなように思う。そして、「何かを考えさせるためにある」ということは、あらゆる芸術の一番重要な要素ではないか。それが受け手の思考の翼を羽ばたかせる原動力になる。
だから、このアルバムを何度も再生したくなるのだろう。