この年末年始は、絶対仕事はしないと決めて、自分のために時間を使うことにした。それで取り組んだのが、もう一度自分で音楽を作ること。
昔話になってしまうが、1979年の夏にKORGのMS-20を買い、次にRolandのSH-02を、そして、TEACのミキサー付きの4Trカセットレコーダーを手に入れて自分の音楽を作り始めた。その後はシーケンサー、エフェクター、ギターやベースと機材を揃えて、全部自分で演奏して作品を作り、時には知り合った友達のバンドでキーボード(というか、ほとんどHawkwind的な効果音)で参加し、バイト以外はすべて音楽という幸福な時代があった。
しかし、金銭的なことだけでなく、現実はそんな幸福なモラトリアムをいつまでも許してくれるはずはなく、理想に幻滅した革命家がネクタイをしめるのと同じように、僕も自分で音楽をつくることから、だんだんと遠ざかっていった。
それから随分と長い時間が過ぎ、今では、毎日仕事で使っているMacBookProやiPad Pro上で動作するソフトウェアシンセサイザーやエフェクター、シーケンサー、DAWは豊富にあり、何台ものシンセサイザーを置く場所を気にする必要もない。iPadProとMIDIキーボードがあれば、40年前と比べてはるかに少ないコストで、いつでも音楽が作れる環境を整えることができる。それならもう一度やってみようと。
それで、いくつかのシンセサイザーやMIDI音源、DAWをM2 iPadPro上に導入して、YouTubeにあるチュートリアルを見ながらソフトの使い方を勉強してできたのがこの作品。
曲のタイトルの「Terminal Beach(終着の浜辺」はJ.G.バラードの小説のタイトルでもあるが、後から付けたもので別に小説を意識したのではない。波の音のサンプリングデータがあったので、それを繰り返し聴きながら音を重ねていて、2/3は演奏をループ状に録音した素材を使い、1/3は手弾きのインプロビゼーションになっている。
すごくゆっくりで変化しない音楽を演りたかった。耳が覚えている音楽が影響して、初期のラ モンテ ヤング、テリーライリー風なところが多々ある。
1人だけどユニット名が必要なので「Ear has No Lid(耳に蓋はない)」とした。これは、パスカル キニャールの「音楽への憎しみ」という本に出てくる言葉。
見たくないものがあれば、目はまぶたを閉じれば見ないことができるが、聞きたくなくとも、耳にはまぶたはないのでそれはできない。その意味で、耳や危険を察知する器官であるが、同時に脆弱な器官でもある。
ソフトの使い方もなんとなくつかめてきたので、自分で音楽を作ることは、続けていきたい。