Sound & Silence

本多重夫の音楽、オーディオ、アートなどについてのプライベートブログ

Marantz Model 250 - 音楽がスピーカーから吹き上がってくるパワーアンプ

最近オーディオの記事を書いていないが、夜はMarantz 7で相変わらずレコードやCDをかけて聴いている。パワーアンプは70年代後期の中堅パワーアンプのModel 3250。これは抜け良いサウンドで気に入っているのだけど、左チャンネルのボリュームにガリが出始めていることと、もっと馬力のあるパワーアンプもいいなぁ、と去年から漠然と思い始めていたところ、これまでも利用している中古オーディオのハイファイ堂のサイトでMarantzの1970年頃のパワーアンプ 、Model250が売られているのを発見。当時の定価は30万円、それが整備確認済みで118,000円、1年間の保証付き。 悩んでいると買い損ねて後悔しそうなので思い切って購入した。今回はその話。

アメリカ生まれのパワーアンプには電源スイッチがない

購入の決め手になったのは、ビンテージのMarantzのアンプということはあるが、パワーアンプとしては小型で奥行きが30センチ以下でラックに収まりがよく、重量が20Kg以下なので1人で設置や移動ができること。ハンドリングしやすいことは腰を痛めないためにも大切だったりする。それに塗装補修されたウッドケースに収まっていてルックスも良い。

これまで使っていたパワーアンプのModel 3250は、設計が米国マランツで製造は日本マランツのMade In Japanだが、このModel 250は設計・製造ともに米国。カリフォルニア、サンバレーの銘板が貼ってある。使用されているパワートランジスタはモトローラ製。モトローラは、僕の中で80年代のCPUや半導体メーカーの一つという認識だったので、パワートランジスタがあったのは意外だった。

このModel 250のパワーアンプが、いかにも米国製であるとことを感じさせる点は電源スイッチがないこと。日本人の常識からすると家庭で使う電気製品に「電源スイッチがない」のは考えられないが、米国ではそうでもないらしい。そこには電源スイッチは「入れる」ためにあるのか、「切る」ためにあるのかという思想の違いがありそう。電源を入れたままにしておけばいいものに「電源を切るスイッチは不要」ということなんだろう。実際、70年代の米国製オーディオ製品には電源スイッチがないものが少なくない。省エネの概念がない、幸福な時代の製品。なので、電源オン・オフは、ごそごそとラックの裏側に入って直接コンセントを抜き差しすることになる。

ビンテージのオリジナル度をどこまで残すか

これは、オーディオだけでなく、楽器でもクルマでも同じだが、「オリジナルの状態をどこまで残すか?」という課題もある。積極的にパーツを入れ替えて「今風に改善」するのか、安全上の問題や著しく劣化している場合を除きオリジナルの状態を保つのか、僕は後者の方。外装や劣化パーツや錆びたりした端子を同等品に交換するのはいいが、直出しの電源ケーブル止めてイントレットを取り付けてしまうような改造は好まない。

昔のアンプは直出しの電源ケーブル込みで音決めされているだろうし、インレットにされてしまうと、電源ケーブルで音がコロコロ変わってしまうので、元の状態がわからなくなってしまう。今回のModel 250は、RCA入力は金メッキの新しいものに変わっていたが、プッシュ式のスピーカー端子や直出しの電源コードはオリジナルのままのようだ。

乾いた、力強いアメリカンサウンド

設置して数日しか経っていないが、音はある程度想像していた通りの乾いた力強いアメリカンサウンド。とはいっても野暮ったいわけではなく、繊細な表現ももちろんできる。ただ緻密に音楽を組み上げていくよりも、音楽の流れとか勢いを重視する方向。僕自身の音楽の聴き方がそういった方向に変わってきてるのでちょうどいい。人の声やサックスがリアルで(本物に近いという意味でなく、聴こえ方として)、存在感のあるエモーショナルな表現に長けている。

高音質化的な意味合いでのハイファイではなく、むしろローファイ。上手く言えないが、音楽を情報として再構築するのでなく、音楽を感情の産物として響かせている。なので、こういう音楽表現を「うっとおしい」と受け取る人もいるだろう。好みが分かれるところ。

音質的には低音の存在感が強い大胆なピラミッド型。音量を下げても音が痩せない。ただドライなサウンドなので、暗かったり、重かったりすることはない。サウンドステージはスピーカーの奥ではなく手前に広がる。出力は片chあたり120Wなのでそれほど大きいわけではないが、ドライブ力はありそう。普通にリビングで聴いている分には気持ち良く鳴っている。

古い録音も新しい録音も同じように良い

ビンテージのオーディオ機器で危惧するのは、製品発売当時の古い音源の再生には向いているが、最新の新しい音源には不向き結果にならないかという点。ざっといろいろ聴き進めると、新旧どの音源でも魅力的きな再生音になった。

Systemic / Divide and Dissolve(2023/CD)

メルボルンのドローンメタルデュオ。ソプラノサックスのリリカルは響きとファズギター、ドラムの音圧の高い演奏のコントラストを見事に描ききる。演奏がリアル。

Ruth is stranger than Richard / Robert Wyatt (1975/ LP)

Robert Wyattの3作目のソロアルバム。このパワーアンプは声の再生が良い。Robert Wyattの歌声を聴いていると本当にそう思う。ジャズっぽいアンサンブルの音が交差する表現も上手い。もっと細かい音を出してくるアンプは多くあると思うが、演奏の一体感が伝わってアンプはそう多くない。

The Giuseppi Logan Quartet(1965/LP)

ESPレーベルの中でも異端のジャズサックス奏者Giuseppi Loganのアルバム。以前からアミニズム的なユニークなフリージャズという印象があったが、このアンプで聴くとジャズであるとかないとかはどうでもよく、音楽としてギリギリの場所に踏みとどまっている稀有な演奏。Giuseppi Loganは鬼才だが、バックのDon Pulenのピアノ、Milford Gravesのドラムのセンスと才能が、このアルバムを支えている。ジャズにはこのパワーアンプの大きなアドバンテージがあるのは確か。生々しくて1965年の録音とは思えない。

Future Days / CAN (1973/LP)

ダモ鈴木在籍時の最後のアルバム。このアルバムはCANのひとつの頂点を成すアルバムで、実験精神と脱西洋音楽へのアプローチが高い次元で融合している。ダモ鈴木というと、やたらと『TAGO MAGO』のアルバムばかり語られるが、本当にみんなあの2枚組のアルバムをちゃんと聴いているのだろうか? 1曲目のPaperhouseと「虹の上から小便」のA面だけしか聴かれてないのかな? あの混沌があり、通過点の『Ege Bamyagi』を経て辿りついたのが精神浄土的な『Future Days』ではないだろうか。このパワーアンプの乾いた音で聴くと、これまでとはまた違った、このアルバムのリズムの凄さを感じる。

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いろいろと聴いて強く感じるのは、どれも音楽の体温が高く聴き手を引っぱるエモーショナルな表現に長けている。「音楽はあっち、自分はこっち」という態度を許さない、音楽への密着度が高い時代のアンプらしい音がする。

参考情報

audio-heritage.jp


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