Sound & Silence

本多重夫の音楽、オーディオ、アートなどについてのプライベートブログ

Turiya Sings / Alice Coltrane - 無神論者の心にも響く歌声

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僕は特定の宗教に何も属さない、欧米人の価値観からすると無神論者。そのくせ宗教に関わる音楽、祈りのための音楽には強く惹かれたりする。それはグレゴリオス聖歌であったりロシア正教会の音楽だったり、バッハやシャルパンティエ、デュファイといった古典からアルヴォ・ペルトやグレツキのといった現代音楽の新単純主義の作曲家、あるいはチベットの僧侶の声明まで多岐にわたる。

キリスト教に限らず、宗教的な音楽や芸術は信者または潜在的な信者の集団的な感情に訴える力を備えていて、それはある種の「官能(センシュアリティ)」や「恍惚(トランス)」状態をもたらす。しかし、そうした宗教音楽の特性は、20世紀以降、ジャズやロックといった大衆音楽の中で更に発展していったのではないか。

スピリチュアル・グルとしてのAlice Coltrane

アリス・コルトレーン (Alice Coltrane, 1937-2007)は、言うまでもなく、ジョン・コルトレーンの再婚相手でピアノ、オルガン、ハープを演奏する音楽家。ジョン・コルトレーンをスピリチュアルな方向に導きファラオ・サンダースなどと共にスピリチュアルなフリージャズを深化させ、自身もジョン・コルトレーンのグループでフリーなピアノを演奏している。ジョン・コルトレーンに大きな影響を与えた女性で、ジョン・レノンにとっての小野洋子のような存在であったことから、彼女を好まないジャズファンもいるようだが。

僕がアリス・コルトレーンを意識したのは1974年にカルロス・サンタナと共同で製作した「Illumination」のアルバム。彼女の声明のような祈りのチャントから始まり、ジャック・ディジョネットやデイブ・ホランドといったジャズミュージシャンの演奏に加わりパワフルなジャズロックアルバムとなっている。特にアリス・コルトレーンのオルガンプレイが強力。商業的にはまったく成功しなかったが、音楽的には野心的で、 ハードな演奏の一方、アスリのストリングスオーケストレーションがタイトル通り「啓示」となる。

アリス・コルトレーン はジョン・コルトレーンの死後、インドのグルに師事し「Turiya」という名前を与えれられる。ちなみにサンタナは「Devadip」。何度かのインドでの修行の後に、Vadantic Centerにおいて自身がスピリチュアルリーダーとなって生徒への伝導を始める。

Turiya Singsは祈りと賛歌

そして、その伝道活動の中で作られたが、このアルバムのもととなる祈りの歌を集めたもので全てサンスクリット語で歌われる。当時は生徒や信者向けのカセットリリースだったようだ。このレコードのアルバムカバーに文章を寄せている息子のラビ・コルトレーンによると、元は多重録音でストリングスやシンセサイザー、効果音などが含まれ音楽的なビジョンが表現されていたが、それらを取り除いてアリス・コルトレーンの歌声とオルガンだけにしたことで、よりその精神性を際立ただせ、その声の豊かな表現を聴くことができ、Wulrtizerオルガンのグルーヴ感が聴くものに訴えてくる。

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その通りで、このアルバムの一部の先行リースをApple Musicで聴いた時に、穏やかなメロディなのだが力強く説得力のある歌声と控え目で浮遊感のあるオルガンの音が、静かな波となって押し寄せてくるような気がした。Wulrtizerは米国の電子オルガンのメーカーで主に教会で広く使われたようだ。おそらく1950年代にアリス・コルトレーンがデトロイトの教会にいた頃からあったのかもしれない。ハモンドオルガンとは違い日本のエレクトーン的というか独特の柔らかいサウンドをしていて、このオルガンの音が重要な役割を果たしている。

殺伐とした対立の時代に

全体では1時間ほど、レコードでは2枚組。なんだか不思議なレコードで、聴き始めると2枚を続けて聴いてもあっという間に時間が過ぎてしまう。それでいて飽きることがない。

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過去の過ちを執拗に攻撃したり、立場の違いの対立を煽ったりといった大きな声が社会を覆っているときに、このアルバムの存在などほんの微々たるものにしか過ぎない。それでも、ベッドに入る前にこのアルバムに耳を傾けると、明日の朝はまた新たな1日の始まりになるだろうという希望が持てる。それは希望にしか過ぎないが、希望がないところに未来はない。

Kirtan: Turiya Sings

Kirtan: Turiya Sings

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音楽を探し求める方法 - 音楽やアートはファシズムでもジャムでもない

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レコードだった時代にはジャケットデザインを見ながらな中身の想像を含まらせて(勝手な妄想とも言えるが)買ってしまう「ジャケ買い」という行為があった。僕も当然その世代で数限りない「ジャケ買い」を繰り返し、思った通りのもの、大外れのもの、いろいろあって、それは本来は成功とか失敗という二者択一的なものではないのだが、とにかく手にしたものを貪るように聴いていったものだ。その情熱の原動力となっていたのは、音楽という抽象的でありながら、直接心に訴えてくる、その力に突き動かされていたのだろう。

hiroshi-gongさんのブログでPresident Onlineの「店頭でワクワクしながらCDを選ぶという人が絶滅危惧種になった本当の理由」という記事に触れていた。

president.jp

このPresident Onlineの記事はストーリーミングサービスのようなサブスクリプションサービスには膨大なライブラリがあって、選択肢があまりにも多いため、自ら選択することを放棄していると指摘している。その論理としてエーリッヒ・フロムの「自由からの逃避」を上げている。まあ、この種のマーケティング系の人が書きそうな記事ではあるが的外れではないか。

もう一つ、マーケティング系の人たちが「自由で選択肢が多過ぎると人は選択はできなくなる」というテーマで好んで取り上げるものに、TEDでのスピーチで注目を集め「選択の科学」の著者でコロンビア大のシーナ・アイエンガー教授のジャムの選択というのがある。簡単にまとめると、スーパーの棚に、4種類、10種類、24種類と選択肢の数を増減したときに、購入数にどう影響を与えるのかを調査したもので、選択肢が多すぎると結局選べらなくなって購入数が減るというもの。

前者はワイマール共和国の理想と幻滅からファシズムへ向かうバックグラウンドがあり、後者は大衆消費物のジャムという商品の選択の話であり、そういった特性を無視して音楽やアートの選択に適応するのは無理がある。むしろ、こうした関連づけは音楽やアートを大衆消費物としてしか見ていない危険すら感じる。それに「店頭でワクワクしながらCDを選ぶという人」はもともと少数派なのだし、最初から「絶滅危惧種」だったのでは。ジャケ買いをする人が沢山いたというのは若いマーケターが抱く幻想にしか過ぎないし、サービス側の仕掛けでできることは、サービスから退会させないことやもっと消費させることにしか過ぎなくて、結局、彼らはユーザーやリスナーを「消費者」としてしか認識していないのだ。

そもそも音楽やアートは全ての人のものではない - 全ての人が享受できるとしても

音楽やアートには分かりやすいもの、難しいもの、美しいもの、醜いものがあり、それは全ての人が享受できる可能性があるとしても、受け入られる、あるいは感受できるどうかはその個人による。僕の学生時代は、クラスの半分以上はビートルズを聴くが、ローリング・スートンズは1/4以下だし、ピンク・フロイドになるとクラスに数人、ジョン・ケージを聴くのは学年に一人いるかどうかだった。今だと洋楽を聴くこと自体が少数派なのだろう。

これは音楽を聴く、本を読むことでも同じなのだが、自分が触れたものからさらに探究を深め、思考の旅を続けるのは、それは賭けと言ってもいいようなもので、自分では経験できない状態に飛び込めるどうかにかかっている。つまり、他者から見た自分、他者に定義された自分であることがいいのか、自分で自分を定義しようと葛藤するのかの違い。それには終わりがない。

音楽を探す場所と方法

自分に合った、新しい音楽、意味のある音楽を探したり、出会ったりする場所を探すのは難しい。過去、僕には日本の音楽雑誌はそうした用途でほとんど役に立たなかった。むしろ、NHK-FMの海外テープ音源による番組や1980年〜1990年代はライブハウスに通って未知のグループを見て、そこで出会う人から得るものが大きかった。それはインターネットの時代になっても基本的に変わらないが、中には有益なものもある。

Pitchfork

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自ら「The Most Trusted Voice in Music」と主張する米国Pitchforkは、今やすっかり音楽業界における権威になってしまった感じがする。このサイトの新譜レビューをよくチェックしていた。フォークからエレクトロ、メタルまでオールジャンルで、アルバムカバーのデザインやジャンルから気になったもののレビューを読み、サンプルを聴くか、AppleMusicで探して聴いてみる。レビューが古典的な10点満点の採点法というのが安易過ぎる気がする。どうも音楽レビューには点数や星数というが多いが、書評や美術評論では見ない気がする。どうしてなんだろう? 美術館で、ダ・ビンチの「モナリザ」は7.5点、ウォーホールの「マリリンモンロー」は9.0点とか作品の横に書いてあったら面白いかも ;-)

pictchfork.com

bandcamp

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Pitchforkが権威なら、bandcampはアーティストとファンが感覚的にも金銭的にも直接つながるアナーキックな場を提供している。新しく生まれてくる音楽にグローバルに触れるなら、bandcampが最適。実際にサイトで全て視聴することができる。フリージャズギタリストのMary Halvorsonや少し前に書いた75 Dollar Billもここで聴いている。このサイトはレビューや特集記事も読みごえたがある。おすすめ。

bandcamp.com

AppleMusic

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僕はAppleMusicしかサブスクリプションしていないので、AppleMusicのジャンルやカテゴリー別の中から新譜一覧を月に1度程度見て、気になるものがあればライブラリに追加する。ただインターフェースが変わって新譜一覧の表示が面倒になったので、もうあまり利用していない。直接検索することが多い。旧譜を探して聴くにはAppleMusicはいいと思う。

KEXP - YouTube

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KEXPはシアトルのラジオ局で、ツアーでシアトルを訪れるアーティストのスタジオライブを定期的に収録して放送し、ビデオはYouTubeに掲載される。新人からベテランまで幅広く、アイスランドのグループのSolstafirやVOKを知ったのもここだし、Zola JesusやSavagesのライブを最初に見たのもここだった。

www.youtube.com

Amoeba Music - YouTube

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Amoeba Musicは西海岸を中心にするレコードストアで僕が90年代に仕事で渡米したときにバークレーで通った頃は中古専門店だった。今ではお店も大きくなりインストアライブやイベントもやっている。YouTubeにチャンネルではアーティストが店内でピックアップしたレコードを本人が説明する『What's In My Bag?』というコーナーがあってこれが面白い。意外な音楽を聴いていたり、隠れた影響がわかったりする。その中から聴くようになったものも少なくない。

www.youtube.com

ディスカホリックによる音楽夜話

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そして今一番参考にしているのが冒頭でも触れた hiroshi-gongさんのブログ。とにかく新しいもの、マイナーなもののレコード、カセット、CDを毎月何枚も購入してブログで音源参照付きで紹介し、それもレーベルからレーベル、アーティストからアーティストへと関連を探究していく正統派の情熱が充満している。自腹を切って買ったものを書くのは信頼に値する。どこからか借りてきた音楽を借りてきた言葉で論じるのとはわけが違う。
そんな国でこんな音楽を演っている人たちがいるのか! という発見だけでなく、紹介されていくものを聴いていくと、パンク、ポストパンク以降の音楽がいかににグローバルに浸透して発展しているのか、またサイケデリックからノイズまでの伝統がスタイルを変えながら世代を超えて継承されていることがわかってくる。

hiroshi-gong.hatenablog.com

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結局、自分で聴く音楽の円軌道を広げていくのは、自分自身の内側を探究していくことにつながる。英国の風景画家コンスタンブルの言葉にはこうある。

ほんとうの趣味は半端な趣味ではない

Apple Music ロスレスストリーミングを聴く- 音質だけでなく音楽体験の質が高まる

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ロスレスストリーミングになったApple Music。いろいろと聴いて確かに音質が向上しているし、これまでのそこそこ音の良いBGMというか、気になるアルバムを試聴してチェックする用途から、音楽を真剣に聴く、鑑賞に耐えるものとなった。

もちろん全てが素晴らしいわけではなく、元の録音やデジタルマスタリングの状態、そこからストリーミングファイルが生成される過程でのイコライジングやエフェクト処理など、そのプロセスの影響も大きい。大雑把な印象では、古いものよりも2000年以降にレコーディングされた音源の方が品質の向上は著しいように感じる。元がデジタル録音されているものが有利なのかもしれない。僕はAppleMusicのみなので、AmazonHDや、TIDALといった他のハイレゾストリーミングサービスとの比較はできないが、送り出し型のシステム、再生側のアプリケーションが異なるのでまたニュアンスも変わってくるだろう。オーディオ専門のサイトでは「空間表現に優れたAmazonHD、高解像度のApple Music」という評もあるようだ。

USBケーブルをアコースティックリバイブにアップグレード

AppleMusicのロスレスでの再生音が想像よりも高品質なので、ほぼApple Muisc再生専用となっているiPadPro第二世代に接続しているUSBケーブルをアップグレード。これまではFURUTECH製の実売価格約9,000円のUSBケーブルを使用したが、これをアコースティックリバイブのUSBケーブル「R-AU1-PL」に変更(実売価格約17,000円)。

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このケーブルは写真でもわかるように、データ信号線と電力線を完全に分離。2本に分かれていて、データへの電力線からのノイズ干渉を防止している。この効果は大きく、全体的にバックグラウンドが静かになり、音像へのフォーカスはシャープに、高域はナチュラルで中低域の厚みは増す。ぱっと聞いた感じは音数が減ったように感じるかもしれないが、それはノイズ干渉がなくなって本来の音になったからだと気が付く。いかにもデジタルっぽい、エッジーな表現ではないので、物足りないと思う人もいるかもしれない。あくまでもハイファイ指向。この価格帯では非常にすぐれたオーディオ用USBケーブルといえる。

では、実際にApple Musicでいろんなアルバムを聴いてみよう。

CD品質 44.1KHz/16bit or 48KHz/24bit

Agalloch / The White EP (Remastered) - 44.1KHz / 16bit

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Agallochは、オレゴン州ポートランドのブラックメタルバンド。自然崇拝というか自然の美、冷たい冬の季節、メランコリーといったものが背景にある異色のグループ。このミニアルバムはトラッドミュージックかと思うほどアコースティックで、ほとんどがインストゥルメンタル。冒頭の子供の遊びの呪文のような声のフィールド録音からアコースティックギターが入るところは美しく、録音も優秀。

44.1KHz / 16bit は通常のCDと同じ品質。実際にCDとこのApple Musicのストリーミングを聴き比べると、音楽の実態感ではCDが有利だが、Apple Musicのストリーミングもほぼ遜色ない。CDでなくとも十分彼らの音楽の凛とした冷たい冬の大気が伝わってくる。
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Sonny Sharrock / Guitar - 48KHz / 24bit

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あれこれ聴いていくと48KHz / 24bit品質のものは多い。数値では44.1KHz / 16bit との差は僅かなように見えるが聴感上の差は大きい。44.1KHz / 16bit と比べると音楽の響きが滑らかで、音の立ち上がりや音の消え方がより自然になっている、

Sonny Sharrock(1940-1994)は米国のフリージャズギタリスト。スピリチュアルジャズとファンクとアバンギャルドが合体したユニークなスタイルで、初期はフルート奏者のハービー・マンのフュージョンサウンドで個性的なギターを聞かせ、晩年はビル・ラズウェルのグループでの演奏で若いオーディエンスに衝撃を与えた。本作は1986年のソロアルバムで、独特の太いディストーションのギターサウンドが心地良い。ロスレスになって音が痩せないので、ボリュームを上げて大きな音量で聴いてもうるさい感じがせず、演奏の熱度が一層際立つ。
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Solid Space / Space Museum - 48KHz / 24bit

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例えばシャッグスもそうだが、素人っぽい音楽への情熱がカルト作品を生み出すことがある。このSolid Spaceもそうしたグループのひとつ。10代のイギリスの二人が素朴なシンセとリズムボックスで、ポスト テクノポップを作り上げてカセットでリリースされる。その1982年の作品はカルトアイテムとなり、最近リマスタリングされてCDとレコードで再発された。

この種の音楽はリマスリングされると最初の混沌とした雰囲気がスポイルされてしまうことが少なくないが、このリリースはクリアになりながらもそうしたエネルギーを失っていない。ボーカルとチープなシンセサウンドの分離も明瞭で、その素朴な情熱が伝わってくる。
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Wager / Parsifal - 44.1KHz / 16bit

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カラヤン指揮・ベルリンフィルのワーグナーの「パルジファル」。1882年に初演されたワーグナーの最後のオペラ。晩年のカラヤンが時間をかけて取り組んだ演奏で、今聴いても色褪せていない。ストリーミングでの再生はCDやレコードを交換する手間が不要なので、オペラや長尺ものの交響曲に向いている。このカラヤンの演奏もロスレスになったことで十分鑑賞に耐える音質になった。

個人的にはこのオペラのハイライトはオペラ本編よりも15分及ぶ前奏曲にあるのではないかと思っている。沈黙から深く静かに始まる音は、後のアンビエント・ドローンミュージックの先駆者であることを示してはいないか。こういう耽美的な演奏はカラヤンにしかできない。
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ハイレゾ音源 96KHz/24bit or 192KHz/24bit

今回のApple Musicのロスレス対応で初めてハイレゾ音源を真剣に聴くようになったが、確かにCD品質とは一線を画す高音質だと納得する。ハイレゾになるとより高域が伸びるように思うが、実際は低域の解像度の改善が著しい。良質のハイレゾ音源だと情報量が多く、アナログ再生に近いというか、よりナチュラルな再生音になり音楽の深みが増してくる。

Simon & Garfunkle / Bookends - 192KHz/24bit

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サイモン&ガーファンクルの1968年リリースの4作目『Bookends』。全体で30分ほどと短いが、子供から老人までの人生を濃縮したコンセプトアルバム。音楽的にも実験的で充実している。「Save the Life of My Child」の冒頭の電子音や背景の悪夢の走馬灯のようなコーラスの扱いは、シュトックハウゼン的ですらある。このアルバムに大きな影響を受けた英国プログレバンドのYESは「America」をキュービズム的な大胆なアレンジでカバーする。

メジャーアーティストだけに古いマスターの管理状態もいいのだろう、192KHz/24bitとなってもデジタル固有のクセはなく、声やハーモニーの分離は一層明確で、バックのオーケストラやコーラスとも混濁することはない。優秀録音。
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Royal Thunder / Wick - 192KHz/24bit

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Royal Thunderは、ストーナーロックと呼ばれるジャンルの米国ハードロックバンド。ローリングストーン誌が「ジャニス・ジョプリンがフロントのレッドゼプリン」と評するほど、ボーカルとベースのMlny Parsonzには存在感がある。『Wick』は2017年リリースのサードアルバム。このアルバムは好きでロスレスになる前から何度もApple Musicで聴いているが、192KHz/24bitとなったことでアナログライクな厚みのあるサウンドとなった。こういうロックこそ、ハイレゾで聴きたい。うねるようなヘヴィなビートが際立ち、音楽のリアリティが増している。
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Sunn O))) / Pyroclast - 192KHz/24bit

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Sunn O)))は、シアトルで1998年に結成されたエクスペリメンタルメタルのグループ。ドラムなしのギター2本、ベース、ゲストでシンセとバイオリン、金管楽器などが加わる。大音量のアンプのフィードバック音のレイヤーがいくつにもの重なり、濃い音の霧がゆったりと形成されていく。ドローンメタルというジャンルで括られるが、ヨーロッパでは現代音楽として評価されている。メタルとしては抽象化されて過ぎているし、ノイズというには有機的過ぎる。

『Pyroclast』は2019年にリリースされた9作目のアルバム。大音量のフィードバックは、最初はアルバムカバーにもあるような濃い霧の塊のように聴こえるが、時間が経つにつれて、霧の中で目が慣れてくるように、その細部のアンサンブルがわかり色彩感すら感じるようになる。そいういう音響的な「体験」が彼等の音楽の魅力になっている。192KHz/24bitのハイレゾとなってより細部は明確となり、最後の曲では神秘的な抒情性まで表現され、ワーグナー的な世界観を感じさせる。
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Anna Gourari / Elusive Affinity - 192KHz/24bit

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ECMのハイレゾ音源となれば悪いはずはなく期待通りの音。ただApple MusicのECM音源全てがロスレス、ハイレゾ対応にはなっていないようだ。もう少し時間がかかるのかもしれない。

Anna Gourariはロシア出身のピアニスト。このアルバムでは、彼女と同郷のシュニトケ、ロディオン・シチェドリン、そして現在居住するドイツのウオルフガング・リームの現代音楽作品を中心にしながら、アルバムの最初と最後をバッハの小品でサンドイッチにする構成。『Elusive Affinity - とらえどこのない関係性』というタイトルになっているが、聴き手は彼女の知的であると同時に詩的に洗練された演奏から作品の関連性を思いを巡らすことになる。

192KHz/24bitのハイレゾならではの、ピアノの打鍵の強さ、余韻、ハーモニーのクリア表現。それにECM独特の残響が加わり、澄んだ水の底から音楽が湧き上がってくるようだ。コンサートでは得ることが不可能な、優れたレコーディングアートとしてのリスニング体験がある。
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オーディオ的にどうなのか

これまでCDトランスポート+DACで聴いてきたものとApple Musicのロスレス/ハイレゾを比べると、音楽的な充実度や力感、サウンドステージの表現はCDが勝る。ただ、CDトランスポート+DACの再生は何年も追い込んでいるわけで、USBケーブルを変えただけのiPadProからの再生と同列に比較するのはフェアではないかも。逆に言えば「ただつないだだけ」で音質的も音楽的にも良質でポテンシャルが大きいことは確かだし、これからの調整でさらなる改善も期待できそう。

アナログ再生とは世界観が違うので単純な比較は困難。パッと聴いて情報量が多いのは192KHz/24bitハイレゾかもしれないが、その情報量が整理されていないような印象もある。表現が違うので僕の方が慣れていないのかもしれないが、ものによって192KHz/24bitハイレゾがアナログ再生に近いと感じることも多かった。

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これまで僕の中でBGM的な扱いだったApple Musicが、音楽を聴く、鑑賞にに耐えるものになった。でもこれで、レコードやCDの購入量が減るかというとそうはならないかも。Apple Musicで聴いてよかったものはやはり欲しくなるんだろうな....。

shigeohonda.hatenablog.com

WATER / Helene Grimaud - ゆく河の流れは絶えずして しかも もとの水にあらず

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Helene Grimaud(エレーヌ・グリモー) は1969年生まれのフランス人ピアニスト。ピアニストであるだけでなく、絶滅危惧種を保護する活動家でもあり、ニューヨークでWolf Conservation Centerの設立にも関わっていて、またライターでもある、というように社会との関わりが深いアーティスト。最近はこうした単に音楽家だけではない社会的な側面を持ち、主体的に発言するアーティストが珍しくなくなった。

このアルバム『Water』は2016年にリリースされたもので、最近デッドストックの未開封新品のアナログ2枚組を見つけた。『Water』というタイトルの通り水をテーマにしたコンセプトアルバム。コンセプトに合わせてレコードも透明ビニールでプレスされている。

地球の表面を覆っているように、水は私たちの身体の大部分を占めていて、生命にとって欠くことのできない源泉。水は自然の彫刻家であり大地を形作る。

と彼女は書く。そして『水』にまつわる次の8曲が選ばれ、その曲間を Nitin Swahney が制作したアンビエントサウンドでつながれている。ムソルグスキーが『展覧会の絵』で曲間を『プロムナード』でつないだように。その効果は大きく、アナログレコードでレコードをひっくり返しながら聴いても、河の流れを見ているように時代を超えた楽曲から楽曲へと自然な流れを感じさせるし、楽曲への新たな気づきもある。

  • Berio: Wasserklavier
  • Takemitsu: Rain Tree Sketch II
  • Fauré: Barcarolle no.5
  • Ravel: Jeux d'eaux
  • Albeniz: Almeria
  • Liszt: Les jeux d'eau à la Villa d'Este
  • Janacek: In the mists 1
  • Debussy: La cathédrale engloutie

この中でも、冒頭のベリオと武満の演奏は特に素晴らしいように思う。20世紀の作品であっても作曲者とは遠い世代によって演奏されることで新たな魅力が加わっている。武満の曲はもともと美的であるが、その美しさがいっそう際立っている。

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フランスものの楽曲が多いが、彼女に往年のベロフやミケランジェリ、あるいはアルゲリッチのようなピアニズムを求めるのは的外れだろう。個々の楽曲は属性というかプロパティが剥ぎ取られ、リセットした上で彼女自身が設定したテーマに沿って新たな意味づけがされている。つまりこのアルバムは彼女によってキュレーションされた作品、そしてその流れの中での演奏として理解する必要がある。

なので、終盤のヤナーチェクの「霧の中で」、ドビュッシーの「沈める寺」の演奏は、個別の曲としてであればもっと違ったレベルの演奏もあるのだが、冒頭のベリオや武満の演奏の流れの中にあるとすれば、このレコードに納められた演奏でいいのだと思う。

オーディオ的なこと

ハイレゾファイルやSACDの時代に、クラッシックの新譜のアナログレコードを買うというのは随分酔狂なことだが、レコードで聴くとより自分に近い音楽として聴けるのはレコードで育ったからか。デジタル録音された音源をアナログレコードにプレスしてなんの意味があるのか、という主張はもっとも。

こういう新しい録音のクラシックは、SHURE V15 TypeVにボロンカンチレバーのSAS針が合う。高音質なカートリッジならではの表現で、ピアノから音の香りがただよってくるような空気感がある。

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レコードを繰り返し聴くということは、方丈記の一説に通じるものがある。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

聴く前と聴いた後では同じ自分ではなく、時間は過ぎ、陽は傾き、過ぎた瞬間が戻ることはない。その移り変わりが繰り返されていく。

amzn.to

Double Negative / Low - ノイズの向こうから聴こえる聖歌

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以前から気になっていたLowの2018年のアルバム『Double Negative』のアナログ盤がまだ残っているのを見つけたので購入。当然のことなのだけど、AppleMusicで聴いているときとは音楽の深度や強度が大きく違う。やはりこうした音楽はできればアナログ盤で、無理ならCDでしっかりと聴きたい。

ただ最近、アナログだけでなくCDでも発売された時にチェックして購入しておかないとあっという間にモノがなくなってしまうが残念。CDも売れないのでプレス枚数が少ないのだろう。以前なら数年経っても購入できたりしたが、もうそんなことを期待する時代ではなくなってしまったようだ。

静かな湖のようなLowの音楽

Lowは1993年結成の米国ミネポリス出身のグループ。 ギター&ボーカルのAlan Sparhawkとドラム&ボーカルのMimi Parkerの夫婦にベースを加えたトリオ編成。Lowの音楽は「Low-Fi」とか「Slow Core」と言われるように、基本的に静かで、スローなゆったりしたリズムを特徴としてしる。ただそれはレイドバックしたフォーキーなものではなく、集中度や強度の高い音楽で、風に吹かれている静かな湖面をじっと見るようでありながら、その底から湧き上がってくるものがある。

僕がLowの音楽に惹かれるのは、その純粋性。デビューアルバムから一貫して、彼らの音楽はスローで極限のシンプリシティを装っていながら、その音楽に近づいていくと、それはAgnes Martinの絵画のように遠くからはシンプルに見えるが、非常に多くの困難な手作業の積み重ねで作られたことがわかるのに似ている。安易に喝采を求めないプラトン的で禁欲的なところがあり、求道的な純正性をまとっている。

Double Negative - 二重否定 - 何を?

この『Double Negative (二重否定)』とタイトルされたアルバムは、 彼らにとって12枚目となる。コンスタントにアルバムをリリースするクリエティビティは結成から28年を経ても衰えることがない。

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このアルバムでは、これまでも楽曲によって実験的に行われてた楽曲の解体と再構築が一段と進んでいる。オープニングナンバーの『QUORUM(定足数)』はいきなり何かを引きずるようなノイズから始まり、その中から逆回転のような歌声が断片的に聞こえてくる。続く『DANCING AND BLOOD』では、鼓動のようなビートの上で深いリバーブがかかったMimiの透明な声がこだまする。このアルバムではエフェクト処理された彼女の歌声は特別。

アルバム全体を覆うのは、そうした「彼方からの音楽」。それはアンビエントと言えるような軽々しいものではなく、どこか思い詰めたような、やり場のない感情がはち切れたその隙間から染み出してくるような、救済を求めているかのような、あるいはそれに応える慈愛のようにも聴こえる。

音楽として存在するのがぎりぎりの状態。だから、それが何かを確かめるために何度も針を落としてしまう。

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ミックスとマスタリングは前作に続き、BJ Burtonが参画している。

この『Double Negative』のライブ映像も素晴らしい。

DOUBLE NEGATIVE

DOUBLE NEGATIVE

  • アーティスト:LOW
  • OCTAVE/SUB POP
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Live at Knebworth 1990 / Pink Floyd - 30年前のライブを高音質45回転LP2枚組で聴く

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昨年発売された『The Later Years』の2枚組LPにも一部が収録され、同タイトルのBOXセットにはCDで収録されていた1990年6月30日のKnebworth Festivalでの演奏が今回『Live at Knebworth 1990』として、高音質45回転LP2枚組というベストなフォーマットでリリースされた。ルネ・マグリット風のアルバムカバーはもちろんヒプノシスのデザイン。

1990年のKnebworth Festivalの参加アーティストは、Pink Floyd, Paul McCartney, Genesis, Phil Collins, Robert Plant with Jimmy Page, Dire Straits, Eric Clapton, Tears for Fears。観客12万人。コンサートの模様はMTVで中継された。僕もこのMTVの中継でPink Floydのパフォーマンスを見ている。同日の映像の一部はビデオやブルーレイでもリリースされている。

『The Later Years』の記事でも触れたが、この日の夜は雨、風ともに強い悪天候でステージ上のスモークは雲のように流されてしまうし、フロントに立つデイブ・ギルモアはストラスキャスターも着ている服もずぶ濡れ状態。しかし、この日のためのゲストメンバーを加わって演奏は大熱演。1時間弱のセットだが、この時期のフロイドのベストライブの一つといえる。

演奏曲目は以下の通りで、45回転2枚組に分けて収録。

  1. "Shine on You Crazy Diamond, Parts 1-5”(LP-1 A面)
  2. "The Great Gig in the Sky"(LP-1 A面)
  3. "Wish You Were Here"(LP-1 B面)
  4. "Sorrow"(LP-1 B面)
  5. "Money”(LP-2 A面)
  6. "Comfortably Numb"(LP-2 B面)
  7. "Run Like Hell"(LP-2 B面)

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このライブの聴きどころ

『Shine on You Crazy Diamond』では、当時デビュー直後で注目を集めていたジャズ、フュージョン女性サックス奏者のCandy Dulferがゲストで登場。力強いソロでこの曲を締め括る。続く『The Great Gig in the Sky(虚空のスキャット)』では、『狂気』のアルバムで見事な歌声を聴かせたClare Torry本人がライブで再演。圧巻のパフォーマンスを見せる。 ニューアルバムからセレクトされた『Sorrow』は、このライブのハイライト。重厚でドラマチックなサウンドでデイブ・ギルモアのギターの凄みが伝わってくる。『Money』は途中レゲエっぽいリズムのアレンジが加わり、この曲の諧謔味がさらに強調されている。そして『Comfortably Numb』『Run Like Hell』のフィナーレへと演奏はさらに熱を帯び、最後は花火の打ち上がる音で終演。

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LPならでは大判のブックレットもうれしい。

オーディオ的にも楽しめる

このアルバムのレビューで、低音が足りないとか分離がイマイチという批判もあるが、30年以上前のテレビ放送用の音源だったものをがんぱってリマスリングして、高音質LP化したのだと思う。僕はオーディオ的にも十分楽しんでいる。

SHURE V15 TypeIIIやTypeVの高音質でスピーカーいっぱいに広がる鮮明なサウンドを楽しむもよし、M44Gの太い音でステージの前にいるかのような臨場感を楽しむのよし、いろんな聴き方ができる。

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コロナ禍でずっとライブを見ることができないが、久しぶりにライブの興奮を思い出すことができた。

Live At Knebworth 1990 (Vinyl) [Analog]

Live At Knebworth 1990 (Vinyl) [Analog]

  • アーティスト:Pink Floyd
  • 発売日: 2021/04/30
  • メディア: LP Record

Live At Knebworth 1990

Live At Knebworth 1990

  • アーティスト:Pink Floyd
  • 発売日: 2021/04/30
  • メディア: CD

shigeohonda.hatenablog.com

昔の日本のレコードの音は本当に悪かったのか? - SHURE Me97HEカートリッジ で聴いてみる

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ストリーミングの時代にアナログレコードが何度目かのブームを迎えている。レコードは大きさからしても、ジャケットアートと音楽を収めた円盤がセットになったアートパッケージとして新しい位置を与えられているのかもしれない。ジャケットを飾るためのさまざまなフレームやスタンドが存在するのも、そうした楽しみ方を広げている。

高価格化するオリジナル盤、まだ手頃な日本盤や再プレスの中古レコード

レコードコレクターやオーディオファイルからの視点で見ると、オリジナル盤指向が以前にも増して進んでいて、通販サイトでもマトリックス番号が普通に表記されるようになりオリジナル盤やモノラル盤はかなりのプレミアムプライスでの取引されることが当たり前になりつつある。米国盤にしても最近事情は似てきていて、初回プレスのオリジナル盤は英国盤ほどではないとしても、やはり高価格化している。いずれにしても60年代、70年代ロックは、発売から50年以上を経過してコンディションの良いレコードは限られきているから、高価格化は今後も続くのだろう。

一方、日本盤だと保存状態の良いきれいな帯(おび)がついた初回レコードや当時のプレス数の少なかったものはかなりのプレミアム価格となるが、帯のない並品となるとずっと手頃な価格になってくる。再プレス盤となるとずっと価格はこなれてくる。コンディションのよいものが2,000円以下、1,000円以下でも入手できるので買いやすい。

手軽な日本盤を上手く再生して楽しみたい

僕のレコードコレクションも半分以上は、学生時代から買っていたり、後から中古レコードで購入した普通の日本盤。レコード関連のブログを見ると「日本盤には帯以外の価値はない」などと極端なことが書かれていたりするが、日本盤は作りが丁寧で欧米と比べるとリスナーの取り扱いも丁寧なので、年数の経過を考慮するとまずまずのコンディションのものが多い。オリジナル盤と比べてたら音質的に弱点があるかもしれないが、普通の日本盤を上手に気持ちよく聴いていくというのもオーディオの楽しみ方の一つではないかと思っている。持っているものを楽しく聴くことは大事。

「普通で平凡」なSHURE Me97HEカートリッジ

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このMe97HEカートリッジは、V15シリーズ の下位モデルとしてリリースされたもので楕円針が装着されている。SHUREの他のM44GやV15シリーズに比べると最近のオーディオ誌での評価はあんまり高くなく「凡庸な」とか「平凡」と書かれてしまうが、反対に言えば「そつなく何でも鳴らせる」ことができるわけで、存在は地味だが音楽の聴かせどころは知っているいいカートリッジだと思う。普通の日本盤を聴くにはちょうどいい。

ちょっといろいろペラジャケの古い日本盤を聴いてみよう。ほとんどが年数を経ているのでクリーニングは必須。全部バキュームクリーナーで洗浄してある。

ペラジャケのロックやジャズ

ペラジャケとは60年代から70年代始めまであったジャケット形態で、コーティングされた紙でジャケットが作られているもの。多くは表面はオリジナルのイメージだが裏面は解説になっている。

Cream / Disraeli Gears(カラフルクリーム)(日本グラモフォン)

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コーティングされているので表面のイラストがキレイなのは、この写真でも伝わるかな? 

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裏面は、曲目解説のライナーノート。日本ではこのアルバムがデビューアルバムとなる。価格は1750円。当時はセカンドアルバムやサードアルバムが最初の国内リリースになることは珍しくなかった。おそらく1968年の発売。

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音質は十分にいい。英国オリジナル盤は未聴だが、後年のリマスタCDやマスターテープからダイレクトトランスファーされたCDと比較しても音の鮮度は高い。当時のテープから(マスターからのコピーであっても)プレスされたレコードの方が音の鮮度的には有利なのではないかと思う。 リマスターCDの弱点は、時間を経て劣化したアナログマスターテープからハイサンプリングでデータ化して、それをコンピュータ上で補正したマスターを使用するので元の音の勢いは蘇ってこないのではないか。

Jimi Hendrix / Are You Experienced (日本グラモフォン)

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このレコードはモノラル盤。日本で発売されたのは英国盤と同じ仕様のもの。

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裏面はこんな解説になっている。価格は1750円で1967年の発売。

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音質はラジオのようなナローレンジ気味で分離もよくなく、ボーカルは前面に出ていて、リバーブ処理が強くかかっている。最初はつまった印象だが、音量をあげて聴くとすぐに耳が慣れてきて音の塊のエネルギー感が心地よい。1997年のリマスターCDと聴き比べてみたが、リマスターCDはさすがに分離がよくボーカルも明瞭だが、このレコードを聴いた後だと音楽の一体感やエネルギー感が損なわれているように感じる。1967年当時のロックファンはこのレコードを大音量で聴いていたのだろう。

Led Zeppelin / III(日本グラモフォン)

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日本では1970年代に入ってワーナー・パイオニアができる前は、Atlantic、Reprise、Electraといったレーベルは個別に契約されていた。Atlanticレーベルは日本グラモフォンとの契約だったので Zeppelinの初期のアルバムは日本グラモフォンから出ている。

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このサードを2014年にリリースされたリミックス盤と聴き比べると、リミックス盤はギターが前面に出て圧倒的にラウドでダイナミックなサウンド。オーディオ的にも優秀で現代的な音なのだが、70年代のロックとしてはこの日本グラモフォンの方が雰囲気があるような気もする。前記した『Are You Experienced』でも感じたのだが当時の音質はボーカルが中心にある。ラジオで放送されたり、小さいなスピーカーで再生されたときのことを考えていたのだろうか。

Doors / Waiting for The Sun(日本ビクター)

最初、Electraレーベルは日本ビクターの契約で、Doorsはビクターから出ていた。この『 Waiting for The Sun』はバーゲンで買ったもので、ジャケットは米国盤なのに中身のレコードは古い日本盤だったという珍品。

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レーベルマークはよく知られた蝶ではなくイラスト。当時の日本ビクターは高音質だったように思う。このDoorsもそうだが、Jethro Tullも昔は日本ビクターから出ていてこれも音がいい。トラッドフォークのPentangleが所属していたTransatlanticレーベルも日本ビクター盤は英国版に負けないほど良い音がしている。

死刑台のエレベーター/殺られる (日本ビクター)

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昔は日本独自編集盤がよくあった。日本だけのベスト盤が海外では高値だったりする。これは Miles Davisの「死刑台のエレベーター」と Art Blakey & The Jazz Messengersの「殺られる」のフランス映画2本のサントラをA面とB面に入れた企画もの。

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1950年代末から1960年代は『シネ・ジャズ』が流行りで、ヨーロッパ映画のサントラにジャズがよく似合っていた。このマイルス「死刑台のエレベーター」のサントラはパリに出向いて録音されたものでオープニングの深いリバーブがかかったトランペットは、後の『In a Silent Way』を予見しているかのようだ。個人的には単にサントラの域を超えた傑作だと思っている。

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このレコードのレーベルには誇らしげに「HiFi-STEREO」とあるが、A面の「死刑台のエレベーター」はモノラル。それでも深いエコーのトランペットが闇から一筋の光となって出てくるような凄みが伝わってくる。B面はステレオ録音でアート・ブレーキーもダイナミックなドラムサウンドが聴ける。

やっぱりレコードは聴いて楽しむもの

まとめて古い日本盤を再生してみると「レコードは聴いて楽しむもの」という基本を再認識する。オリジナル盤やマトリックスにこだわったり、RIAAカーブの違いを追求するのもいいのだが、昔はもっとおおらかに安いステレオセットでレコードを大きな音でかけて楽しんでいた。こうしたレコードを手にすると、最初に買った人は、どんな風にかけて聴いていた想像が膨らむ。小さなイスに座って煙草をくわえて、膝でリズムをとっていたんだろうか?

LITTLE BIG BAND LIVE AT TUBBY’S / 75 DOLLAR BILL - 音楽が生まれる場所

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少し前に紹介したニューヨークのグループ、75 DOLLAR BILLのライブ盤『LITTLE BIG BAND LIVE AT TUBBY’S 』のアナログ2枚組が届いた。アナログで聴くとデジタルファイルとは随分印象が違って演奏が生々しい。

このユニットの紹介は前回の記事を参照していただくとして、このライブはニューヨーク、キングストンのTUBBY’sというライブもあるダイナー&バーで2020年3月7日に録音されたもの。これがCOVID-19パンデミック直前に行われれた最後のライブ。このライブの後の状況は知っての通りで、このアルバムの裏ジャケットにも記載があるが、ニューヨークにおいて急速に感染が進行してロックダウンが宣言されて日常生活は激変していく。

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このライブの参加したのは、中心となるパーカションのRick Brown, ギターのChe Chenの二人の他、ベースのSue Carner、サックスのChery Kingan、ギターのSteve Maing、ドラム、パーカッションのJim Pugliese、ビオラのKaren Waltuchの合計7名。

誰かが特別演奏が上手いというこはない。それでいながら、どの曲も、どの演奏もスポンティニアスで自由に沸き立つようなところあり、それが彼らの音楽をとても魅力的にしている。メロディが反復され、催眠的なようでありながらグルーブ感があり、その音楽の変化はとても有機的で、演奏者それぞれの個性が縦糸と横糸のように絡みあって織物のように広がっていく。

演奏は、Che Chenのギターリフが印象的な『BENI SAID』で始まる。メンバーの演奏がだんだんと温まってくるのがわかる。次の『I’M NOT TRYING TP WAKE UP』では、75 DOLLAR BILLらしい、グルーブ感が会場を包んでいく。LPだと片面を占める『LIKE LIKE LAUNDRY』は、Rick Brownのシンプルなりリズムのパーカッションを中心に、静かに少しづつアンサンブルが加わっていく。サックスとギターがリフを繰り返し、その背景でビオラのロングトーンが聞こえてくる様子は、Tony Conrad with Faust / Dream Syngicate を彷彿とさせるが、そうした冷たさはなく、もっと暖かく穏やかな幸福感に満ちている。それが、この75 DOLLAR BILLの音楽の本質にある。

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演奏後半は Che Chenが「僕らはカバーバンドではないのだけど」と説明しながら、フリージャズプレーヤーの Ornette Coleman の『FRIENDS & NEIGHBOURS 』でスタートする。この曲はOrnette Colemanがニューヨークの自分のロフトを開放して、いろんな人達と交流しながら行ったライブを収めたアルバムに含まれていて、コーラスというか掛け声が印象的な作品。ここでも、掛け声をメンバー全員で再現し、それがまたいい雰囲気を出している。

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最後の曲はこのアルバムのハイライトでもある20分におよぶ『WNZ#3/VERSO』。最初はChe Chenの中東風なギターにドローンのような音が交差して空間を満たすが、パーカッションとベースが入ると演奏が滑空を始めて舞い上がる。ここではAlbert AylerばりのChery KinganのサックスソロとKaren Waltuchのビオラソロがなんと言っても素晴らしい。『Sister Ray』がポジティブな音楽に生まれ変わったかのよう。ロックでもジャズでもなく、純粋な集団演奏の音楽の醍醐味。聴き手の僕らは、最初その音楽の外側にいたはずなのに、いつの間にかその演奏の一部となってしまう。

75 DOLLAR BILLの音楽の本質を捉えた素晴らしいライブアルバム。こういう音楽を聴くと、僕もまだ大丈夫という気分になれる

Live at Tubby's [Analog]

Live at Tubby's [Analog]

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ピーター・ゼルキン / The Complete RCA album Collection - ある演奏家の音楽の旅

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ピーター・ゼルキンのこと

ピーター・ゼルキン(Peter Adolf Serkin 1947-2020)は米国のピアニストで父親のルドルフ・ゼルキンも著名なピアニスト。グレン・グールド(1932 - 1982)よりも一世代若い。ともに米国人のピアニストらしく、ヨーロッパの伝統の呪縛から離れたみずみずしい音楽を聴かせてくれる。特にピアノの音色の明るさ、透明感にはピーター・ゼルキンならではの魅力がある。

それに、ピーター・ゼルキンはグレン・グールドほど変わり者ではなく、レコーディングだけでなくコンサートも多い。18歳のときのデビューアルバムが『ゴールドベルグ変奏曲』なのはグールドの例にならって話題作りをしようとしたレコード会社の戦略だったのだろうか?

僕がピーター・ゼルキンを意識したのは70年代に入ってから。FM放送で何枚かのアルバムをエアチェックして聴いたり、アンサンブル「タッシ(Tashi)」がオリビエ・メシアンが収容所で作曲したという『世の終わりのための弦楽四重奏』を演奏したレコードを通してだった。アルバムカバーのメンバー全員がクラシック音楽家らしからぬヒッピーぽいスタイルで新しい時代を感じさせてくれた。

RCAレーベルからの全リリース、34枚組のBOXセット

僕は2020年にピーター・ゼルキンが73歳で亡くなったことも、このBOXセットがリリースされたことも全く知らず、手元にあったバッハの録音を聴いていて他のCDを探していたときに偶然このBOXセットにたどり着いた。最初は34枚組というボリュームに躊躇したが、コロナ禍で自宅にほとんどいるし購入してみることに。僕が過去購入したBOXセットで最も枚数の多いことだけは間違いない。

このBOXセットは彼が亡くなったからリリースされた追悼盤ではなく、生前から予定されていたもの。付属の解説を読むと、ピーターは当初、「全てがパーフェクトな演奏ではない」という理由でこの全集に乗り気でなく、何枚かを除外しようとしていたようだ。しかし録音を再度聴くうちに、完全ではないがそれぞれ魅力あることに気がついて考えを変えたようで、RCA、コロンビアの録音がセットに復刻されることなった。本来ならリリースに際してピーター本人がエッセイを執筆する予定だったが、癌の進行がそれを許さず、ブックレットには最後の電子メールが掲載さている。

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このBOXセットが素晴らしいのは、アナログレコードでリリースされた状態をジャケットを含めCDサイズで復元していること。さすがに小さくてジャケット裏のライナーノーツはルーペがないと読めないが、CDレーベル面は当時のレーベルがレコード風に印刷されているという凝りようで愛らしい形をしている。2枚組はダブルジャケットになっているのだが、糊付け位置が悪くCDがすごく取り出し難いのはご愛嬌。

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よくCD全集だと曲がぎゅうぎゅうに詰め込まれて作品の第1楽章と第2楽章が生き別れとなることも少なくない中、きちんとレコード単位で復元されたことは嬉しいし、アーティストへの敬意を感じられる。

幅広いレパートリーを持ち、日本との関係も深い

ピーター・ゼルキンはレパートリーの幅が広いピアニストだった。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、シューベルトなどの古典、ロマン派から、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンの新ウィーン学派、メシアン、武満徹、ベリオ、ヘンツェの現代音楽まで取り上げる。それは「Tashi」でも同じで、元々は『世の終わりのための弦楽四重奏』を演奏するのアンサンブルだったが、シューベルトの「鱒」やストラビンスキー、ベートーヴェンも演奏している。

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全体に共通しているのは「音色の美しさ」と「作品の音楽としての流れ」が極めて自然であること。変にドラマを作らないので自然過ぎて部分を切り取ると平坦な印象もなるかもしれないが、音楽通して聴いたときの説得力は大きい。古典・ロマン派であっても、現代音楽でも、どの曲も「ああ、そうした音楽だったのか」と発見があるし、彼の音楽に対する喜びが聴き手の心に伝わってくる。

BOXに入っているCDを見ていくと、日本との関係も深いことがわかる。1966年、19歳のときにレコーディングされたバルトークのピアノ協奏曲は当時シカゴ交響楽団を振っていた小澤征爾の指揮。同時に小澤征爾の指揮でシェーンベルクのピアノ協奏曲も録音している。相性がよかったのか後にはさらにベートーヴェンも。メシアンの「アーメンの幻視」では高橋悠二が共演をつとめる。1978年にはTashiで武満徹のだけの作品のアルバムをリリースしている。これも素晴らしい演奏で、静寂の中から淡い色合いの風景が立ち上がってくるようだ。

勝手な想像だが、ピーター・ゼルキンは「ハーモニーの響き」や「音が生み出す色彩」に高い関心があり、それがメシアンや武満徹に向かわせたのでないかと思う。その演奏の響きと色彩感はとても美しい。

ピーター・ゼルキンの音楽の旅を追体験する

34枚のCDを次々と聴いていくと、彼の音楽の旅を追体験しているような気になる。10代でゴールベルク変奏曲でデビューし、シューベルト、バッハで演奏家としての地位を確立したかと思えば、バルトーク、シェーンベルクといった現代作品も鮮やかに弾きこなす。70年代に入ると長髪に髭を蓄え、ジーンズ姿でTashiに参加、40代を過ぎても精力的にレコーディングし、1994年にはゴールベルク変奏曲を再度録音する。RCAでの最後のレコーディングは、1996年のベートーヴェンの「幻想」「月光」「熱情」。

この34枚のCDを1週間で聴き終えた後も、あれこれ取り出しては繰り返し聴いている。久しぶりにクラシックをまとめて聴いたが、聴いている時に「クラシックを聴いている」という気があまりしなかった。それは彼の演奏で解き放された音楽が翼をもって自由に羽ばたいていくのを見るような、そんな喜びがあるからだろう。

Complete RCA.. -Box Set-

Complete RCA.. -Box Set-

  • アーティスト:Serkin, Peter
  • 発売日: 2020/05/29
  • メディア: CD

75 Dollar Bill - ひび割れた懐かしさの彼方に

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「ひび割れた懐かしさの彼方に 」というタイトルを思いついて、それがまるで間章(あいだ・あきら)みたいだと自分でおかしくなる。間章の文章を初めて読んだのはブリジット・フォンテーヌの『ラジオのように』のライナーノーツだった。まるで私小説のような独自のスタイルでライナーノーツや音楽評論を書く人で、中には思い込みが強過ぎて歪んでいるようなところもあったが、僕を含め、あの時代に彼から影響を受けた人は少なくないだろう。

デレク・ベイリー、阿部薫などのフリー・インプロビゼーションミュージックやフリージャズ、実験的なジャーマンプログレッシブロック、アンダーグラウンドパンクを日本でより多くの聴き手へ届けた功績は大きい。僕も彼の文章に出会っていなければ、そうした音楽を聴くことはなかったと思う。

この「75 Dollar Bill」というグループの音楽が、どこにも位置しない、孤独で自由な音楽を聴いていて「ひび割れた懐かしさの彼方に 」という言葉がふと浮かんできた。それは、Pitchforkのサイトで新譜のレビューを読んでこの「75 Dollar Bill」の存在を知り、YouTubeでライブの映像を見て、最近にないショックを受けたからだ。

「75 Dollar Bill」は、2012年にギターのChe ChenとドラムのRick Brownの二人によってニューヨークで生まれたユニットで、ライブによってバイオリンやサックスなどの他のメンバーが不定型で参加する形態になっている。そのサウンド本当にユニークで、単なるドローンやミニマルではなく、その中心には開放への戦いの厳しさがありがら、プリミティブで祝祭的であり、聴き手を揺さぶるグルーブ感に溢れている。それは、ギターのChe Chenがアフリカ北部のモーリタニアで学んだ非西欧的なギター奏法の影響も大きい。

この、彼らの初期の映像となる2013年にニューヨークのチャイナタウンのストリートで演奏しているビデオでは、自分たちの信じることをいきなり通りで始めるというラジカルなもので、怪訝な顔で演奏を一瞥されても、当然そんなことには全く動じない。

さらに、この2017年の26分のライブ映像にひどく心を揺さぶられた。僕にはChe Chenの吹くソプラノサックスになぜかSteve Lacyが重なってくる。背景のオルガンのドローンと相まって、それはラ・モンテ・ヤング的な様相を帯びていながら、廃墟を吹き抜ける風のような前半から、Rick Brownのリズムが入り、Che Chenがギターに変わる中盤以降、それはまた別の音風景を描いてく。

そして、2019年には同じ「I Was Real」は、七人編成のアンサンブルで演奏される。この演奏の美しさには言葉を失う。

今年リリースされたのが、この『75 DOLLAR BILL LITTLE BIG BAND LIVE AT TUBBY’S』というアルバム。バイオリンに加えサックス奏者も入り、音に厚みが増していかにも小さなクラブで演奏している一体感とグルーブがあり、それがこの演奏を特別なものにしている。音楽が沸き上がってくる瞬間に立ち会っているような、そういう高揚感がある。


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